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窓の杜(無料)

2002年04月29日

写真の少女 # the Encounter "29.04.2002"

―・Saki Asano・―
 「季沙ー?」
 部屋をノックし中の様子を見ると、いつも通り机に向かい勉強をしている妹の姿。先日学校から帰るや部屋にこもり泣き続けていたこともあり心配しているのだけど、問い詰めても何も教えてくれず困っている。だからこうもいつも通りの姿を見ると余計に気がかりになる。
 「季沙ってば。」
 耳からヘッドフォンを外し改めて名前を呼ぶ。
 「あ、姉さん。なに?」
 やや驚いた様子でズレた眼鏡を直しながら振り向く。
 「これから夕飯の買い出しに行くけど、何か欲しいものある?」
 「ううん。特には。」
 「そ。じゃー後から思い付いたらケータイに連絡して。」
 「うん。……あ、姉さん。」
 「ん?」
 「一緒に行ってもいい?」

 双子といっても、あらゆる事柄が同じであるとは限らない。勉強の度合いによって成績は変わるし、体格や性格だって異なる。あたしと季沙も例外ではない。服装も然り、片やスカートとオーバーブラウスを着こなす凜とした佇まいの季沙。片やショートパンツにパーカーの猫背気味のあたしだ。
 「で、なんで眼鏡?」
 「だって、姉さん待たせてるし。」
 「タイムセールじゃないんだし、ゆっくり準備してきていいんだよ?待ってるから。」
 「うーん。でも、いいや。」
 暗に、その地味な眼鏡がすべてを台無しにしてるんだぞと言ってやっているんだけど、どうやら気づいてもらえないようだ。これでいて彼女自身は気に入っているようで、自宅などのプライベートやちょっとした外出ではずっと眼鏡を掛けている。学校に行く時はコンタクトらしいけど。
 「じゃ、行こうか。」
 諦めたあたしは、季沙と並んで商店街まで行く。家からはすぐ近くで、ものの十分くらいで入り口に到着する。その先を抜けると噴水のある広場があり、駅前と言うこともあって噴水前はよく待ち合わせに使われる。
 「ところで何買うの?」
 ゲートの入り口に付いたところで季沙が訊ねる。
 「たまご。オムライス作ろうと思って冷蔵庫見たらなくってさ。」
 「あ……そっか。ありがとね、姉さん。」
 「ばっか。そんなんじゃねーやい。」
 今晩のメニューを言ったのは失敗だった。オムライスは季沙の好物なのだ。それで元気づけようとしていたあたしの目論見があっさりとバレてしまった。これほど恥ずかしいことはない。
 「うん。そういうことにしておく。」
 それでも、久しぶりに季沙の笑顔が見られたから、良しとするか。

 その後季沙は参考書を見に行くということで、一時別行動を取った。あたしはスーパーでの用事を済ませてから季沙と合流すべく本屋に向かった。
 「よ、季沙。そっちはどう?」
 本棚で立ち読みに耽っている眼鏡娘を見つけ声を掛ける。よくまー参考書をそうも熱心に読めるものだと感心してしまう。
 「うん。これなんかいいかなって。」
 見せてもらってもさっぱり分からんので、適当に相づちを打っておく。
 「じゃあ会計してくるね。」
 そのままレジに向かうと思いきや、季沙の足が止まる。どうしたのかと問おうとする前にある人物と目が合った。坂本誠だ。ヤツは気まずそうな面持ちで、季沙とあたしを交互に見ている。季沙はと言うと、参考書を胸の前で抱きかかえながら、ヤツと顔を合わせようとしない。どこか、辛そうな表情をしている。
 何かがあったのは、明白だ。それも、あまり良いことではない。
 「あんた――」
 「まことー、お待たせ。」
 あたしがヤツを問い詰めようとした時、その後ろから小柄な少女が現れた。前髪は切り揃えられていて、片側だけ長く伸ばした横髪の先端はかわいらしいリボンで結んである。その少女はあたしたちを見るとぺこりとお辞儀をした。その様は外見とは裏腹にやけに大人びて見えた。
 「お知り合い?」
 少女が問う。
 「ああ、クラスで一緒に委員長やってる、浅野季沙さんと、えーと……、」
 対外的には初対面と言うことなので、坂本誠は言葉を詰まらせながらあたし達を交互に見ている。
 「初めまして、季沙の姉の沙季です。」
 季沙が喋れそうにないので、自ら名乗る。それを聞いてか季沙がハッとなり、
 「はじめまして。」
 と一歩退いて、あたしの後ろに立ち挨拶をした。
 「これは失礼しました。わたしは坂本誠の幼なじみの、中岡麻子といいます。この春からこちらに越してきて、来年からは先輩達の後輩になる予定なので、よろしくお願いします。」
 「転入生?中等部?」
 「はい。ドイツに留学していたのですが、高等部には転入制度がなく、さらに入学条件に日本の中学校を卒業することがあったので、三年生から。」
 それにしたってうちの転入試験はたとえ高等部の人間でも誰も合格点取れないほど難しいって噂が高いのに、それをパスしたってことなのか?
 いや、いまの問題はそこじゃなかった。後ろで隠れている季沙の顔を見るが、どう見ても恥ずかしくて隠れているという感じではない。先日大泣きしていたことと、なにか関係があるんだろうか。
 「で、今日はようやくこいつの教科書が届いたって連絡が入ったから取りに来たんだ。」
 「こいつってヒドい!」
 「ははは、ごめんごめん。」
 と、裾が引っ張られた気がして振り向くと、今にも泣きそうな顔で首を振っている。確かに、片恋相手のこの状況は見せられて気分のいいものじゃないだろう。
 「じゃあ、ごめん。あたしら夕飯の準備しなくちゃだから、そろそろお暇するわ。中岡さん、またね。」
 坂本誠には挨拶はしない。その代わり最上級の睨みをくれてやりあたしたちはその場を去った。

 「元はと言えば、私が悪いの。」
 商店街から家には帰らず少し散歩をしようと進言し、学校近くの公園へ来ていた。そのベンチに座り、自販機で買ったジュースを渡したところで季沙がやっと口を開いた。
 「私が勝手に生徒手帳を見て、そこにね、あの子がいたの。」
 「中岡麻子?」
 無言で頷く。
 「ふたりとも笑ってて、すごく仲よさそうな写真だった。それで、ああ、きっと坂本くんは、この子のことを好きなんだな、って。」
 今どき生徒手帳にそんな写真入れるヤツがいるのか。坂本誠、意外と女々しいな。という感想はさておき、それがこの前泣いていた理由、というわけか。
 「季沙はそのままでいいの?」
 「え?」
 「中岡麻子曰く、幼なじみなんでしょ?あの言い様だと付き合ってるってわけじゃなさそうじゃない。」
 「でも、坂本くんは中岡さんのこと好きだよ。絶対。」
 「だーかーらー。付き合ってないなら割り込む余地はあるでしょーに。」
 とは言いつつも、季沙には略奪愛が出来るとは思っていない。人を裏切るような行為を、この子は絶対にしない。案の定、「そんなの駄目だよ。」と消極的な答えが返ってきた。
 「そうは言うけどね。あんた、何も告白せずに胸の内に留めておいて、それで後悔なくこれから先を過ごせるの?少なくとも、半年は間違いなく辛い思いするハメになるよ。」
 もし紗羅がこの場にいたら、今の言葉をそっくりそのままお返しされるだろう。そうだ。要するに、あたしが後悔していることを季沙に分からせればいいんだ。
 「何もせずに後悔し続けるより、たとえ玉砕でも告白した方が気分は良いと思うよ。」
 あたしのその言葉に季沙はしばらく考え、缶のフタを開けて中を一気に飲み干した。そこには、もうさっきまでのくよくよ顔の季沙はいなかった。
 「うん。そうかもしれないね。……ありがとう。やっぱ姉さんは私の姉さんだ。」
 「何それ。当たり前じゃん。」
 「そうだね。」
 「さ、帰ってごはんにしよう。とびきりおいしいオムライスを作ってあげるからねー!」
 そう、これでいいんだ。あたしの初恋は叶わなくてもいい。伝わらなくてもいい。いや、伝えてはいけないんだ。この恋は、きっと季沙を不幸にする呪われた想いだから。


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2002年04月26日

初恋は突然に。 # First Love-I "Late.04.2002"

―・Kisa Asano・―
 私は、学校では主に「委員長」と呼ばれている。あだ名みたいなものだけど、実際クラス委員長を務めているので分かりやすい呼び名だ。
 小学一年の、初めての委員会決めのホームルーム。こういうのはいつになっても大抵そうなのだが、学級委員長の役職だけ希望者が空く傾向があるらしい。他の委員会は立候補者やじゃんけん選抜戦やらで大方決まっていたものの、クラスのリーダーに自らなろうという者は誰一人いなかった。そんな沈黙の中で唯一挙手をし立候補した人間がいた。それが私、浅野季沙だ。自分で言うのもなんだけど、私は昔から正義感や責任感がやたら強かった。だから、誰かがやらなくちゃいけない、だけど誰もやらないのなら私がやろうと思ったのだろうと、今の私は当時の私を自己分析する。
 そして学級委員長という仕事にやりがいと魅力を感じた私は、以来真っ先に委員長に立候補するようになった。その為だろう、三年生になるかならないかの時には、既に「浅野季沙=委員長」という認識が同級生の間で定着していた。クラス替えで新しく顔を合わせる生徒も、親しみを込めて私のことを「委員長」と呼ぶ。中には皮肉でそう呼ばれることもあるけど別に気にしていない。実際私は委員長という役職に就いているのだし、何よりもみんなにそう呼ばれるということは みんなが私を委員長だと認め、頼ってくれているのだと。私にそう思わせてくれる支えにもなった。
 私はこの役職に誇りと尊厳を持っている。だからこれからも続けるつもりだ。

 だけど、最近になって私をそう呼ばないひとが現れた。姉や親友以外では珍しく、彼は私のことを苗字で「浅野」と呼ぶ。私は初め、それがどこか悔しかったのだけれど、でも彼を疎ましく思うことはなかった。それどころか、私は彼に惚れてしまっていた。そう、あれは一目惚れだった。

 ことは、今年の四月に遡る。高校への進学。附属中学からエスカレーター式で進んだ私はあまり代わり映えしないなあと思いつつ今年一年を共にするクラスメイトを見回していた。するとその中のひとり、彼を見つけた。その瞬間、私は経験したことのないくらい心臓の鼓動を感じた。たった一瞬で脈拍はグンと上がり、顔が上気する感覚が走った。視線はそのまま固定され、その後中学以来の友人に話しかけられるまでどれくらいの間か、ボーっとしていた。いや、その後もしばらく続いていたのだろう。恥ずかしながらその時の友人との会話や、自分が自己紹介で何を話したかでさえ覚えていないのだ。だけど、これだけははっきり覚えている。そう、彼の自己紹介だ。
 彼が教卓の前に立ったその時、私の意識は現実へと引き戻された。一所懸命に彼の名前を知ろうと、全ての神経を耳と前頭葉へ集中させるかのような真剣ぶりだったに違いない。
 「坂本誠です。大和市第三中学から来ました。剣道部に所属していましたが、高校では文科系にしようかと思っています。一年間お願いします。」
 静かな物腰で、落ち着いた少し低めの声だった。背丈は私よりも高いだろうか。髪の毛は全体的にやや長めだけど、きちんと櫛を入れたように整えられている。とにかく第一印象は「素敵な人」だった。
 そしてどういう巡り会わせか、運命は私に強く味方をしてくれた。
 次の日に行われたクラス替え後恒例の行事、クラス委員の役員決め。私の所属クラスでは委員長が私になる為、その代わり副委員長の席が空白のまま時間が過ぎるのだけれど、彼は最初図書委員での選抜に落選した後、なんとそこへ立候補した。結果、他に自薦他薦は現れず、彼・坂本くんは副委員長になったのだった。
 今まで、余った副委員長の席はクジ引きで決められていて、誰かが立候補するなどということは一度も無かった。だけど彼は自ら副委員長に名乗り出たのだ。それが彼の第一希望でなかったにしても、私が彼に惹かれる想いに拍車をかける理由には十分すぎた。
 それ以来、席替えでは運良く隣になれたり、委員会や勉強のことで話し合ったりと、私の高校生活は幸せなスタートを切ったのだ。

 ところで「委員長」という呼び名のせいか、私はどうしても堅物の女子と思われているみたいだけど、そんなこともない。自分はこれでも普通の女の子であると信じている。友だちにカレシができれば羨ましいとも思うし、カレシといわゆるそっちの経験をしたと聞けば少しくらい想像だってしてしまうものだ。
 だけど、私の青きに満ちた中学生活はまったく男っ気がなく、委員会と部活に明け暮れることで幕を閉じた。それはそれで有意義ではあったけど、だけど私だって友だちみたいな恋愛をしたかったというのが本音でもある。
 なぜそうならなかったのか。
 私には双子の姉がいるが、その姉さんがかつて、学校で一番女子に人気があると言われるいわゆる二枚目スポーツ少年の先輩に白昼堂々学校の廊下で告白されたことがあった。当然のように喧騒に包まれたその現場を、次の瞬間に姉さんは静寂を走らせた。なんと相手の男子の、一番入れてはいけない所に膝蹴りを入れたのだ。
 この、後に「禁門事件」と名付けられたそれは、妹の私に告白しても彼と同じ目に遭わされるという噂が流布した。因みに私たちが中一の時である。
 いや、それだけのせいでもないかも知れない。何せ私は今まで男子に魅力を感じることがいかんせん無かったのだ。学年でどんなにかっこいい男子がサッカー部のレギュラーだろうと、野球部の四番バッターだろうと、周りの女の子たちのようにキャーキャー騒ぐような気分にはなったことが無かった。告白されることがないなら自分からすればいい。そんな簡単なことだけど、そうしなかったのも事実なのだ。

 でも、今回は違う。この胸のトキメキ。これはまさしく恋だと思う。切なくひとを愛おしく想う気持ち。初恋。そう、せっかく手に入れたチャンスを無下にはできない。人生初めての浮いた話だけど、浮かれてばかりいては話にならない。下手をすれば、何もせぬまま撃沈してしまう。それだけは、どうしても避けたかった。


 四月も半ば。新しい気持ちの私たちを校門から出迎えてくれた桜の木に若葉が見え出した頃。その放課後に、私はひとりで委員の仕事をしていた。
 この学校では五月と十一月の末に体育祭と文化祭がある。そしてそれは毎年時期が交互に行われ、今年は五月に体育祭、十一月に文化祭が開催される。今日はホームルームで体育祭でやりたい学年対抗種目をいくつかの候補の中から選んでもらった。私はその集計をしていて、坂本くんは先ほど教室にやって来た先生に仕事を頼まれ、一時的に席を離れている。
 クラスアンケートの集計。そんなに難しい仕事ではない。私は集計し終えたアンケート用紙を積み重ね整理した後で、ただただぼーっと窓から空を眺めていた。だんだんと暖かくなって来たとは言え、夜が来るのはまだまだ早い。向こうの空は赤紫に、教室には橙の光がかろうじて届いている。私がそんな夕日に黄昏ていると、後ろの扉が開く音が聞こえた。坂本くんだ。
 「悪い。遅くなった。」
 「ううん。ちょうど、いま終わったところ。」
 本当なら、こんな簡単な仕事はひとりでも出来なきゃいけない。こんなに時間を掛ける仕事でもない。でも、今日の私は、私の心は、いつもと違っていた。とても同じではいられなかった。今だって、いつも通りの私でいられているかどうか……。
 「そっか。ごめん。反対側の校舎まで荷物運びでさ、思ったより時間かかった。」
 「そうなんだ、ごくろうさま。じゃ、帰ろうっか。」
 私は、見てしまったんだ。机の上に残された、彼の生徒手帳。ほんの出来心だった。誕生日や血液型を知りたい、それだけだったのだ。
 「あ、そうだこれ。さっきの先生から手伝ったお礼にもらったんだ。ちょっと無理言って浅野の分ももらったから、これはお前の分な。」
 そう言って缶ジュースを渡してくれた。結露が彼の手の形に切り取られていて、私はそれに自分の手を重ねた。私も、彼と手を繋げたらいいのに。あんな風に。
 「あれ?浅野、ここの集計だけど、計算が違ってる。」
 「え?」
 いつの間にか、坂本くんが集計リストをチェックしてくれていた。
 「ごめん。どこ?」
 「クラス合計が四十四人になってる。どこかで二人ダブりカウントしてるな。」
 「うそ、……やだ、どうしよう。」
 今期に入って、いや、坂本くんと一緒にやるようになってから、私にはミスが多い。それもどれもが凡ミスばかりで、坂本くんの足を引っ張ってしまっていた。今日はこんな簡単な集計でさえ、だ。
 (ううん。坂本くんは悪くない。悪いのは、私だ。)
 と自省し心を落ち着かせようとするも、全然と緊張は治まらない。
 「ごめんね。修正は私がやるから、坂本くんはもう帰って。」
 「いいよ、手伝う。こういうのは二人掛かりの方が効率がいいだろ。」
 「そんな、私のミスなのに坂本くんに迷惑かけられない。」
 「いいから。ほら、用紙貸しな。」
 これでは押し問答になるだけなので、言われた通り彼にクラス全員分のアンケート用紙を渡し、その回答を彼が読み上げ私が正の字を書いていく。あっという間に集計が終わり、今日の分の仕事が片付く。

 集計リストを職員室に提出してから、私たちは帰路へと就いた。私は徒歩で通っているが、坂本くんは隣の大和市から電車で通学している。そして委員の仕事がある日は、夜道は危ないからと近くまで送ってくれているのだった。
 初めてのとき、「駅までの通り道だしついでだ。」と言っていたけど、そうじゃないことを私は知っている。私の家の方角だと坂本くんが来るのとは逆方向で、私を送った日は普段の駅よりも一駅分戻っていることを。
 そんな彼の優しさが、私の胸をきゅっとしめる。切ない。彼にもっと近付きたい。彼をもっと知りたい。彼の隣にいたい。
 でも、そんな思いが私を更に追い込むことも知っている。今日、知ってしまった。

 彼の生徒手帳。その中には、満面の笑みで親しげに手を繋ぐ少女の姿があった。写真に写った彼はすごくなごやかな表情で、少し照れているような、そんな顔をしていた。
 羨ましかった。
 だけど、それよりも、私は自分が憎かった。彼の心を勝手に覗き見た私が。それを知らず接してくれる彼の好意を謝罪もなく受け取る私が。バレないように、いつも通りであろうと平静を装っている私が。たまらなく、とんでもなく憎かった。
 「やっぱり、私には無理だったんだ。」
 家に着いた時には太陽はとうに沈んでいた。夕方には見えた空は流れてきた雲で覆われ一番星も隠されて、まるで今の私の心を代弁しているかのようだった。


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2002年04月15日

初恋の憂鬱。 # Her worry "Middle.04.2002"

―・Saki Asano・―
 妹が初恋をした。
 新学期早々やけに嬉々としているからなんだと思ったら、どうもそういうことらしい。
 聞けばその男、妹と同じ委員長職に立候補したとかで、もう脳内桃色お花畑、ベタ惚れのゾッコン状態のようだ。
 まあ姉としては漸く訪れた妹の春を応援したい気持ちもあるので、どんな男なんだろうと一度確認してみたけどどうやら姉妹とはいえ好みはまったく異なるようだ。あの子は一目惚れと言っていたけど、別にそんなことはなかった。確かに綺麗な顔立ちではある。男前かと問えば十人中七人位からはイエスと回答を得られそうだ。
 そこであたしは、ヤツと話をしてみることにした。季沙に扮して、ヤツが気付くかどうか少し興味もあったからだ。
 そしてある日。季沙が部の朝練でいない日を狙ってそれを実行した。
 「おはよう、坂本君。」
 「浅野か。おはよう。」
 あたし達が通う学校には、校門へ続く一本道がある。距離にしておよそ一キロ。今はもう散り際だけど、始業式の頃には満開になる桜並木と、秋になると見事な紅葉狩りができるダブルの並木道。更にその根本は向日葵だったり椿だったりの植え込みがありここだけで四季折々を楽しめるようになっているのだが、実に掃除が大変な並木道だとシーズン毎に地面を見る度思う。
 学生は皆この道を通るので、偶然を装ってヤツに声を掛けることにする。そこで待つこと三十分、漸く現れた。しかしそんな様子を微塵も見せる訳にもいかないので、「早いね。電車通いだっけ?」と爽やかに話題を繰り出す。
 「ああ。家が隣町だからね。親が定期代出してくれてるし、自転車よりは楽だしね。」
 「なるほどぉ。」
 しかしなんだ。こうして男子と話すのは初めてなんじゃなかろうか?愼を除けば。
 「ところで浅野ってさ、部活何やってたっけ?」
 会話が途切れたところで坂本誠が話題を変えてきた。しかも部活を聞いてくるということは、少しは季沙に興味があるのか?
 「ん、吹奏楽部だけど。」
 「え、そうなの?だったら中等部に妹がいる筈なんだけど、知らない?坂本泉水。」
 「え?」
 なんとこれは予想外の事態が起こった。妹がいて吹奏楽部だと?そんな情報は知らない。中等部となると季沙とは少なくとも二年間の付き合いがあることになるが、
 「あー、あの子が?……あんまり似てな、くない?」
 「はは、よく言われる。」
 「あはは。」
 よし、誤魔化せた。
 「あれ、でもそれなら朝練は?今日あいつ寝坊したって言って大慌てで出てったけど。」
 「……。」
 チ、そっちに気付いたか。目ざといヤツめ。……あー、しょうがないな。
 「あー、まー、なんだ。ホントはあんたが気付くまで続けようと思ったけど、季沙の評価を下げる訳にもいかんのでねー。はい、じつはあたし季沙の姉の沙季さんなのでしたー。」
 「ああ、なるほど。」
 「あー?なに、その感づいてたような納得の仕方は。」
 「自信は半々だったけどね。きみ、浅野よりはちょっと声低めだよね。風邪かなとも思ったけど、やっぱ別人だったのか。」
 「声、判るの?」
 これは驚いた。今まで容姿で判別されても声でそれを出来た人はいなかった。ましてや今日初めて会ったのにだ。普通は今回みたいに容姿を変えれば大抵見分けは付かない。
 「俺は俄だけどね。絶対音感に近いから、漠然としか判らないんだけど。妹は完璧だよ。」
 「……へー。」
 少し、感心した。少し、な。
 「で、なんでこんなこと?」
 「そーさな。もーすぐ校門に着くし、手短に。これから委員会の仕事が増えてくるんだけどさ、夜遅くなるのは心配な訳よ。そこであんたにミッションだ。委員会がある日だけでいい。あたしのかわいい妹を我が家まで無事に送り届けなさい。もし電車代がかさむようならその分はあたしが出そう。どう?」
 「初対面相手にいくらなんでも信用し過ぎじゃないか?」
 「無論、あたしはあんたを信用してないさね。でも、あんたを信用した季沙のことは信用してる。これ以上ないくらいにね。」
 「浅野が、俺を?」
 「んなこたいーよ。で?どうすんの。インポッシブルとは言わせねーよ?」
 「……。いいよ。請け負った。」
 「よし。あ、そーそー。いまここであたしとあんたが話していたことは季沙には内緒。家まで送るってことはあんたから進言しなさい。そう嫌な顔しなさんな。あたしとあんたはまだ会ったことはない。これは絶対条件だかんら。じゃ!」
 丁度校門に着いたので一方的に話を切り上げ昇降口まで駆けた。
 よし。言うだけのことは言ったな。我ながらお節介だとは思う。けどなー、季沙ってば間違いなく奥手になるだろうからなー。
 「あら、沙季じゃない。」
 靴を履き替えたところで知った顔に出会った。幼馴染みの斎藤紗羅。あたし達姉妹を見分けられるのは紗羅のような付き合いの長いごく一部だけだ。だから普段はあたしが髪を下ろして、季沙が結うことで見分けをつけている。
 「あなたが男と登校なんて珍しい。明日は台風かしらね。」
 「なに、見てたん?」
 結った後ろ髪をほどいていたずらっぽく笑う幼馴染みを見上げる。
 容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備、エトセトラ。成績はいい、美人で背も高いモデル体型。それがこのお嬢様だ。
 「まぁね。そろそろその彼氏が追い付いてくるから、歩きながら話しましょうか。」

 そんな訳で、教室までの間でさっきのやり取りといきさつを説明した。因みに紗羅とは同じクラス、席も前と後ろだ。
 「へぇ。季沙も大変ね。過保護な姉を持って。」
 優しさと言ってほしいところだけど、否定もできないので黙っておく。
 「それで?彼はお姉さんのお眼鏡に敵ったのかしら。」
 「さーね。季沙と付き合うようになったら考える。」
 「まぁまぁ。うふふ。」
 上品な笑い方とは裏腹に顔はにたにたと面白がっている。たぬきめ……。
 「でもいいの?あなたの初恋の方は。」
 急に真剣な声を出したと思ったら、あー、そのことか。
 「まー、けじめは付けるさ。今もその気持ちは変わってないからねー。」
 あたしは机に突っ伏して答える。
 「そぉ?だったらいいけど。困ったわね。私は沙季と季沙ふたりとも応援したい気持ちなんだけど、そうもいかないわね。」
 「うっせー。」
 「……そうね。わたしも沙季のこと言えないか。」
 紗羅がそうぼやいたところで担任が教室に入ってきた。紗羅はあたしの席に振り向いていたから前へ姿勢を戻す。その振り向き様に「難しいわよね、人間関係って。」と言葉を残して。
 まったくだ。自分の想いを躊躇いなく相手に伝えられたら、どんなに心が楽か。
 ただ当たり前に好きなだけなのに、なんでこうも苦しいのか。けじめを付けるとは言ったものの、あたしの初恋は本当は心の内に留めておくべきもので、伝えるべきでは、ない。
 だからあたしは、季沙の初恋をサポートする。それがいいんだ。季沙の幸せが、あたしの幸せだから。それで、いいんだ。
 出席で名前を呼ばれたことも気付かぬ程に、あたしはそれだけを考えていた。


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2001年01月30日

そして止む雨。 # the Rain-I "Late.01.2001"

 中二の時だった。
 雨が地面をうるさく叩きつける音が夜風とともに耳に響いたあの日、家を出て行く母を私は見送った。
 床に転がる何本もの一升瓶。その中に横たわりいびきを掻いている、私の父。
 「ごめんね、しおん。ごめん。ごめんなさい……。」
 母は父を見ることなく、私に謝った。何度も、何度も、カセットテープのように謝った。母が何故謝っているのか、中学生の私には分かっていた。
 「母さん、早くっ。」
 「…………っ。」
 兄に促された母は涙をこぼしながら私を強く抱きしめた。私はただ立っているだけだった。この日が来ることは知っていたからか、私には涙も出ず、悲しくもなかった。だから、母を抱き返すこともしなかった。
 「母さんっ。」
 「しおん、ごめんね。」
 雨の音で聞こえないくらい、涙でかすれきった声で、母はもう一度謝った。
 私を離し、そして背を向ける。玄関の扉が重く閉じるその合間から消えていくその背中を、私は見送った。
 以来、母には会っていない。


 中学の頃、クラスとかで、女の子が男の子からエッチなないたずらをされたことでよく「サイテー」と言うセリフをよく聞いた。だけど私はそうは思わなかった。その言葉は、父にこそ当てはまるものだと確信していたから。
 酒を呑み、煙草を吹かし、母以外の女の人と外泊をし、あまつさえ母がいるにもかかわらず家に連れ込んだこともあった。そしてギャンブルをしては負けて帰って来て、その腹いせで母に乱暴をしていた。母が離婚を申し出た時もそれは暴力によって阻止されたし、実家に帰ってもすぐに連れ戻され、そしてやはり暴力を受けていた。
 私は、父を殺そうとさえ思ったことがある。でもそうすると母が哀しむと、兄に言われ思い止まった。しかしこのままではいけないのは、兄も当然分かっていた。
 やがて兄は、母を逃がすことを決めた。
 方法や行き先、安全の保障など多くの段取りは兄がやってくれた。父のことは親戚にも有名であった為、彼らの協力も仰げた。
 そして兄が父の酒に睡眠薬を入れたあの日。父が寝しずまったところで、母を逃がした。
 家には父と、私たち兄妹。ふたりとも覚悟はしていた。兄は私を案じてしばらく仕事を休んでいたけど、私は兄を説得して仕事に戻ってもらった。
 家に残った私は父に殴られた。私は母の体にできた無数のアザを思い出した。既に私にもいくつかのアザができていた。でも痛くはなかった。そう思うようにした。殴られても私は泣かなかった。泣いたら、母のようになるから。


 ある日、兄が遠くの地方へ転勤することになった。会社の上司にもっと近場にならないかと掛け合ったらしいけど、無理だったらしい。兄は私に、一緒に来るように言ったけど私は断った。特に理由はなかったけど、兄には「今の学校が変わるのは嫌」だということにした。
 それでも兄は「高校はこっちへ来い」と言って、心配してくれた。それは嬉しかったけど、でも、私は素直に受け止めることは出来なかった。その理由は今でも分からない。


 私が三年生になり、兄が家に帰ることがなくなってから数日後。放課後に夕飯の材料を買った帰り道で、私は不良にからまれた。ほんの少し目が合っただけだけど、睨まれたと因縁をつけられたのが始まりだった。私はすぐに抑え付けられ、路地裏に連れ込まれ、服を脱がされた。アザのついた体。それを見た男は、面白がって私を殴り始めた。殴って、蹴って、私がぐったりしたのを見てから、ズボンを下ろした。その時だ。私をおそっていた男を殴り飛ばし、私はあの人に助けられた。その日はだけど、お礼も言えないまま彼を見失ってしまった。
 それから更に数日後、学校から帰ると父が死んでいた。
 初めはまた床で寝ているんだと思った。だけどご飯ができたから起こそうと父に触れたら、それはすっかり冷えきっていて、唇は青白くなっていた。警察の人が言うには、床に転がっていた瓶に足を取られ、後頭部を強く打ったことが原因らしい。
 今まで散々派手にやってきた割には、あまりにもあっけない最期だった。誰に看取られることもなく、自分で蒔いた種で命を落とした私の父は、死ぬことで初めて家庭に幸福をもたらした。
 だけど母は帰って来なかった。ワケは言わなかったけど、分かる気がする。きっと、この家には嫌な思い出しかないから。この家に来ると、またあの辛い日々を思い出してしまうからだと思う。
 兄は相変わらず心配してくれたけど、私は結局、この家に一人で暮らすことにした。


 それから数ヵ月が経ち、中学で最後の夏休みが間近に迫っていた頃だった。いつものように一人で買い物をしていると、あの日私を助けてくれた男の人を見付けた。
 いやにドキドキしていたのを今でも覚えている。そんな状態で、気が付けば彼に話し掛けていた。
 「あのっ……。」
 「ん?……ああ、この前の?」
 「は、はい!あの時はありがとうございました!」
 「いや、いいんだよ。無事で何より。」
 何故だろう。この人は赤の他人なのに、私のことを心配してくれていた。彼とは兄と同じくらい年が離れているような印象を受けたけど、兄に心配されるのとはまた違う気持ちになった。
 その日から、私たちはたまに連絡を取り合うようになった。わたしがそうお願いした。家の電話番号を教え、話したい時に話せるように。
 そんなある日。その日は珍しく、彼・七門[ななかど]さんから電話が入った。
 『やあ、しばらく。元気かい?』
 「はい。」
 それは、いつもとは違った、やや固い声。
 『あの、明日の土曜日なんだけど、時間あるかな?』
 「え?……はい。これといって予定はないです。」
 『そっか、よかった。それで、もしよければどうかな、二人でどこかに。』
 私はしばらくその言葉の意味を考えた。
 「ナンパですか?本気にしちゃいますよ、私。」
 からかわれているのかと思った。だって、私は中学生で、彼は大学生。デートにしてはつりあわないと思ったからだ。でも。
 『僕は本気なんだ。』
 それが彼の答えだった。至極真面目で、ハッキリとした声。私に対して本当に本気になってくれていることが、伝わってきた。
 これがきっかけだった。
 元を辿ればお互いあの時の出逢いがきっかけだったけど、この会話が私と彼、七門昂さんとの始まりとなった。


 それから私が、彼に全てを捧げるまでは早かった。七門さんが初めて会った時に私を助けたのはただの正義感からだったらしい。だけど次の日から、自分でも知らず知らずの内に私のことを考え、街を探していたのだと言う。それを聞いた私はとても嬉しくなった。私を助けてくれて、その時は名前も分からなかったけど、立ち去っていく後ろ姿を見ていた私はもう一度会いたいと思っていた。もう一度会って、しっかりとお礼を言いたかった。そしてその人も、私との再会を望んでいてくれた。それがたまらなく嬉しかった。
 「本当にかっこよかったなあ、あの時の七門さん。」
 「またその話?」
 私がこの話題を出すと、彼はいつも苦笑いをする。照れくさいんだろう。私はそんな彼の顔が見たくて、また、彼をより深く愛するため、たまにこうやってその時の話をする。
 「だって、本当にかっこよかったんですよ。お伽噺に出てくる王子様みたいで。」
 「王子様、ね。……これでもかっ!」
 「きゃっ、あ……んっ。……っはぁ、七門さんてば、ちょっとぉ!」
 幸せだった。人の温もりを感じたのは初めてのような気がした。あの冷たい家庭、心配してくれる兄からも得られなかった温かさ、優しさを、七門さんからは感じた。彼に抱かれることで、今まで感じることのなかった心の充足感が私の中を埋め尽くした。幸せってこういうことなんだな、と思えた。


 「へぇ、女子高に進むの?」
 「えー、だって、共学に行って男子に言い寄られたくないもん。」
 中三の年末。私は家庭教師という名目で昂さんを初めて自宅に招いた。
 「自分で言うか?そーゆーこと。」
 「言うよー。それとも昂さん、わたしのことかわいいって思ってないの?」
 「そんな訳ないだろ。しおんほどかわいい女の子はいないって。」
 「ロリコン。」
 「なっ、バカ!おまえ〜っ。」
 「あはははは。」
 私たちは勉強なんて少しもせずに、いつものようにふざけ合って、愛し合って、そして、文字通り寝正月を過ごした。平和だった。嫌な思い出ばかりがあるこの家に、昂さんとの思い出が加わった。昂さんの温かさが。


 四月。元々成績が良かったこともあり、志望校への入学を難なく果たし晴れて女子高生となった。この一年間は、幸せ真っ盛りだった。


―・Shion Kikuchi・―
 雨の音で目が覚めた。これで何日目かと思うほど長く降っている、うっとうしいくらいの梅雨空。風邪で寝込んでいた私には、この蒸し暑さはよけいに疲労感を与えられる。重たい体をなんとか動かし時計を確認すると、今はいつの間にか昼過ぎだった。部屋を見渡す。誰もいない。
 「昂さん?」
 返事も無い。
 ボーッとする頭でよく考え、自分はいまひとりだということを認識する。
 それでも私は四つん這いになってから壁に手を付き、立ち上がり、家の中を探し回る。
 昨日よりはだいぶラクになっている。きっと、寝る前に昂さんが食べさせてくれたお粥のおかげだと思う。
 壁を這いながらようやくリビングに辿り着いた。テーブルの上には、ラップを掛けられたお粥と、置き手紙。
 “冷蔵庫の食材が少なくなってきたから、買い出しに行ってきます。お昼までには帰って元気になるもの食べさせてあげるから、お腹すかせて待ってて。
 朝ごはんもちゃんと食べなきゃダメだよ。お粥、レンジで温めてください。   昂”

 うん。おなかすいてるよ、昂さん。
 「でも……。」
 どうしたんだろう。もうお昼の 1時を回ってる。時間に厳しい人だから、もし遅くなるなら連絡入れると思うんだけど。携帯を見ても、着信履歴はない。ということは………、どういうことだろう。
 私は心配になって、昂さんの携帯へ電話を掛けた。まもなくそれは通話状態になり、しかし受話器から聞こえたのは昂さんの声ではなく、知らない人の声だった。
 「あの、どちらさまですか?」
 しかし相手は私の問いには答えず、問いを返してきた。
 『七門昂さんのご家族の方ですか?』
 「え、はい。」
 それがあまりにも切迫した感じだったので、咄嗟にそう答えていた。でも、あながち嘘ではない。
 『よかった。』
 と呟くのは相手の声。
 『いまウチのものがお宅に伺いに向かっています。早急に来て頂くようお願いします。では。』
 「え?あの、ちょっと!」
 だけど既に通話は切れていて、私の声は相手には届かなかった。
 一体なんだというんだろう。
 私はワケの分からぬまま、とりあえずパジャマから私服に着替えた。そしてしばらくして、インターフォンが鳴る。
 玄関の外には、黒服の男。間髪入れず、胸ポケットから何かを取り出した。
 「霧宮[きりのみや]警察署の須坂です。七門昂さんのご家族の方ですね?」
 「警察?」
 「お一人ですか?」
 「はい。」
 「ではこちらへ。もしかしたらまだ間に合うかも知れません。」
 「あ、あの、ちょっと!」
 「はい。」
 「警察って、なにがあったんですか?昂さんがなにか?」
 「事情は車の中で話します。とにかく今は、早く来て下さい。」

 「最近ニュースでやってる、通り魔事件、知ってるかな。」
 「はい。」
 通り魔事件。確か、おととい辺りから報道されている連続殺人。昨日までに 4人殺されたと、ニュースで言っていた。
 「その被疑者を、今日逮捕した。七門昂さんへの、殺人未遂の現行犯として。」
 「……え?」
 「テレビで報道させた顔写真にそっくりな男が商店街にいると通報が入ってね。我々も急行したんだが、」
 私は刑事さんの顔を見れないでいる。そうしたら、話を聞き続けていられなくなるかも知れないと思う。きっと。
 「到着しそして被疑者を確認した時には、子供を襲おうとしていた。だが、そこに彼が――」
 「助けたんですね。」
 「え・ああ。」
 言われなくても分かった。昂さんはそういう人だもの。目の前で何か悪いことがあると、それを糾そうとする。あの時もそうだった。私がレイプされそうになったところを、助けてくれた。
 そういえば、さっき私は夢を見てたな。ずっと前の夢。母さんが出てった時の夢。昂さんと出逢った時の夢。父さんが死んだ時の夢。そして、昂さんとの生活。まったく、なんてタイミングなんだろう。これじゃまるで走馬灯みたいじゃない。
 「大丈夫ですよ。」
 「え?」
 「私、お昼ご飯まだなんですよ。もうおなか空いちゃって。あ、私風邪ひいて寝込んでたんですけど、昂さんがご飯作ってくれるって。すぐ帰って来るって。それで、おいしいご飯を食べさせてくれるって、約束、してるから。」
 「………。」
 「昂さん、今まで一度も約束破ったことないから、大丈夫ですよ。絶対。」
 「そうだね。」
 私は相変わらず窓の外を見続けていた。空からは相変わらず大量の雨が降り続いていた。相変わらず、雨の日はどうも好きになれそうにない。

 しばらくして車は隣町の都立病院に着いた。刑事さんに案内されたのは、救急治療室。手術中のランプは、消えていた。部屋の前には男の人がひとり、長椅子に腰掛けていた。
 「警部、連れてきました。」
 「おう、須坂。ごくろうさん。」
 須坂。どうやら私をここまで連れてきてくれた人はそういう人らしい。ああ、そういえば家の玄関でそう言ってたかも知れない。だめだ、まだ熱が下がってないかも。
 「妹さんかな。」
 警部と呼ばれた人は須坂さんから私に目を移し、立ち上がった。私はとりあえずうなずく。
 「お兄さんの手術は終わってる。案内しよう。」

 案内された病室は、思っていた部屋とは違った。
 奥にベッドがあるだけで、そこには窓も無く、明かりも無く、何より、人の気配が無かった。
 そっと、ベッドに近付く。横たわる何か。全てが白い布で覆われていて、それが何なのかは分からない。だけど、私には布の下を知りたいという意思はあっても、それをどかそうという意思は生まれなかった。だからベッドの横に座ることにした。

 長い時間が過ぎたと思う。独りで居る時はいつもそうだ。
 「どうしてだろう。」
 不意に、思ったことを口に出していた。なんだかおかしな気がしたけど、私はそのまま言葉を続ける。
 「昂さんといると、いつも楽しかった。あっという間に時間が過ぎた。私たちが出会ってからのこの 3年間も、すごく早かった。」
 「昂さんのことが好きだから。昂さんのことを愛してるから。」
 「約束したもんね。ずっと一緒にいるって。私が高校卒業したら、結婚してくれるって。子供たくさんつくって、大家族にしようって。」
 「私の、子供の頃からの夢だった。温かい家庭で、幸せな毎日を、賑やかに、楽しくて、みんな笑顔で、ずっと、ずっと仲が良くて、いつまでも、大切にしていたい、そんな家族が、ずっと欲しかった。」
 「昂さん、あの時約束してくれたよね。絶対そうしようって。」
 「昂さんの約束は、今まで絶対破られたことないんだよ。」
 「だから、ね?」
 どうしてだろう。どうして私はこの部屋に連れてこられたんだろう。どうして私の前のベッドで寝ている人は、白い布を被っているんだろう。それはつまり、どうして、私はどうして、ここにいるんだろう。
 私の手は布に触れ、それをそっと取った。
 「…………。」
 よく知った寝顔だった。いや、それによく似ていた。ただ違うのは、そこには血色が無いということ。蒼白とした、けれどもとてもキレイな眠り顔だった。以前、これと似た顔を見たことがある。あれは私の最も嫌いな人の顔だった。
 いま目の前にあるのは、私の一番好きな人の顔。私が愛している人の顔。なんて不謹慎なんだろう。ただ寝ているだけなのに、白い布なんて被せたら、そんなのまるで。
 「昂さん、おはよう。もうお昼だよ。」
 そんなことは、死んだ人のすることじゃない。
 「昂さんってば。おなかすいたよう。早くお昼ご飯にしようよ。」
 やだな、頭がぼーっとする。やっぱり熱が下がってないんだ。だから、きっと、これはタチの悪いイタズラだ。
 「返事してよ、起きてよ昂さん。なにか言ってよ、話してよ!」
 両手が、彼の頬を掴む。とてもとても冷たかった。信じられないほどに。まるで氷のように。反射的に、その手を引っ込めた。
 「いやだ。やめてよ。嘘でしょ?ねえ、嘘はイヤ!独りはイヤ!もうイヤなの!どうして?なんでなの?昂さんがいなかったら私、またひとりぼっちになっちゃう。ひとりは、もうイヤ。ひとりは暗いから。何もないもん。何も見えない。何もできない。独りは誰もいないからっ。」
 彼の胸をたたく。寝てるなら起きて欲しい。今ならまだ、一週間口を聞かないくらいで許してあげるから。
 「昂さん?昂さんは、わたしの光なんだよ。独りのわたしを、温かく照らしてくれた。独りだったわたしを支えてくれた。早く、早く帰ってきてよ。もうおなかペコペコで、ずっと待ってるんだから。ねえ、起きてよ。ねえ!!」
 鳩尾を強くたたいても、昂さんが起きることはなかった。どうして。こんなことになってるんだろう。
 「そん…な。こんなのないよ。なんでなの?分かんないよ。昂さん、教えて?ねぇ、昂さんってば!イヤ、ヤダよ、こんなの。もう独りはイヤ。私を、私をひとりにしないでェェェェェーっ!!!」


 病院からの帰り。私はただ窓の外を見ていた。隣で運転する須坂さんの話も、まるで耳に入っていない。なんだかもうどうでもよく思えてきた。見える景色がなんともツマラナイ。どうしてビルなんて建てるんだろう。そんなツマラナイことも考えてしまう。ツマラナイ。面白くない。なんかもう。疲れた。
 あれ、なんで私はここにいるんだっけ。昂さんのところに行くはずだったよね。今はどこに向かってるんだろう。昂さんはどこにいるんだっけ。あ、そっか。昂さんはいなくなちゃったんだった。
 だったら、なんで私はここにいるんだろう。そうだ、昂さんのところに行かなくちゃ。私のこと待ってるよね。あまり待たせると悪いから、早く行かなくちゃ。

 そして。

 気付いたら、私は助手席からハンドルを握っていた。急ブレーキがかかり、大きな揺れが私たちを襲う。
 頭上から刑事さんのどなり声が聞こえる。
 刑事さんの胸元に、自分の頭に堅く角張ったものが当たっているのを感じた。
 それが何であるか考えるよりも先に、そこに装着されていたそれを、抜き取った。

*


 しおんは須坂が携帯していた拳銃を引き抜き、それを本能的に彼へと向ける。須坂の一瞬の怯みを隙に、しおんは車から飛び出した。
 「ちょっと待て、ヤバい!」
 すぐさま奪われた拳銃を持ったしおんを追う。外は大雨。今日は朝から降っているくせにちっとも収まる気配がない。それどころか雲の厚さは一層と増し、時間の割には最早夜中のようだった。おまけに雨は滝のように降りしきっている。お陰で視界は悪い。しかし彼女の姿はまだ見える。追いつけない距離ではない。
 幸い、この土砂降りな天気だけに人通りはない。後は、自分が彼女に追い付けばいい。弾丸は全て抜き取ってあるからその点は問題ないが、それでも彼女を止めなくてはならない。

*


 走っていた。
 死にたかった。
 手には拳銃。いつでも死ねる。
 でも、須坂から離れたかった。一人で死にたかった。どうしてだろう。理由を考えても答えは見付からなかった。あんなに独りでいることを嫌がったのに、今は一人になりたがっている。
 ただ、死ぬことが必要だと思った。だからとにかく走っていた。ふと気になって後ろを振り返る。すると思った通り、須坂が追いかけて来ている。このままでは追い付かれるのは時間の問題だろう。それなら、彼を撒くしかない。だから足に入れる力を増やして更に早く走った。
 だが彼女は気付いていない。自分がこんなにも息をきらしていることに。自分が熱で、倒れてしまいそうなほどフラフラになっていることに。
 それでも走った。走って、走って、ひとりになって、死にたかった。けれども、路地裏に入ったところでその足は止まってしまう。高いブロック塀に行く先を阻まれたからだ。そしてすぐに、須坂がその道に入ってくる。
 「はぁっ、はぁっ、追い付いた。返してもらうぞ。さあ、こっちに渡すんだ。」
 手を出しながら、しおんを壁に追い込む。
 「来ないで!!」
 だが銃を構えて牽制する。彼の動きが止まる。
 「私は死にたいの!心配しなくても、私が死んだらあなたの手に返ります。だけどその前に、私を殺させて!!」
 叫んだ後、目眩いを感じた。それでも、彼女は決して銃をおろさない。
 「バカなことを……。そんなこと、尚更許せる訳ないだろう!いいから、返すんだ。」
 「イヤです。」
 「彼が死んだからか?よせ、そんなことをして、何になる。」
 説得を試みるが、説得力がない。こんなことなら交渉術の授業をもっと真面目に受けていればよかったと後悔する。そしてしおんが言葉を返す。
 「私にはあの人しかいなかった。昂さんが隣りにいてくれたから、私は今まで生きていられたんです。あの人が全てだった。……でもっ、私にはもう何も無い!生きている意味も、私を見てくれる人も、家族も!何もっ、何もっ!そんな世界に、生きて生き続ける価値なんてないじゃないですか!!」
 須坂はいよいよ匙を投げようと思った。こんな相手に、何を言えばいいのか。いっそ、「なら勝手に死んでしまえ」と言ってしまおうか。言いたいことばかり言いやがって、こちらの言うことはちっとも聞きやしない。
 一方のしおんは、早く死にたかった。でも、それなら何故さっさと死なないのか分からなくなっていた。目の前の刑事に、自分が銃を向けている相手に、何故か叫んでいた。ここまで走ってきても、疲労など感じないほど死への意識は強かったのに。
 だから叫ぶのはもうやめだ。早く死んで、昂の許へ行こう。
 「もういいでしょう?あなたには関係ないじゃないですか。」
 そして、待つのもやめだ。
 銃口は目の前の刑事から自分の頭に向けられる。
 「よせ!」
 距離を詰める須坂。
 「いま、行くね。」
 少女は最期を決意し、微笑を浮かべた。須坂の目には、その笑みがとても寂しげなものに見えた。


 静寂が続いていた。暗いビル群の、ある一角の路地裏に、佇む人影が、ひとつ。
 安全装置は解除されていなかった。しおんが引いた引き金は全て動くことはなく、カチッと乾いた音を出しただけだった。須坂は何も起きなかったことで混乱する彼女の動きを止める為、抱き締めた。緊張の糸が緩み彼の息は切れ切れになっていたが、やがて落ち着くと、耳に雨の音が戻って来る。
 「どうして。」
 しおんの、かすれて細い声もしっかりと聞こえた。
 「どうして。」
 同じ言葉を繰り返す。
 「いいか、よく聞け。さっき俺には関係ないって言ったよな。大間違いだ。俺は君に拳銃を取られた。それだけでも始末書ものだってのに。いや、ヘタすりゃ減俸か、地方に左遷だ。そこに俺の銃できみが死んだら、俺はクビだ。」
 死にたがった人間に対し身勝手な理屈を並べ立てたが、本当のことだ。仕方が無い。それに最悪、自分が殺人者扱いされる可能性だって否めない。
 「冗談じゃない。」
 だが、しおんには須坂の声は届いていなかった。ただ「どうして。」と繰り返す。
 「私、死にたかった。死にたかったのに、どうして?どうしてこわかったの?死ぬって決めたのに、死のうって思ったのに、昂さんに会いたかったのに、……引き金を引いた瞬間、急にこわくなった。途中で止まって、弾が出てこなかったって分かったら、安心した。あんなに死のうと思ってたのに、覚悟したのに!なんで?どうして!?」
 「じゃあ、まだ生きていたいんだろ。」
 泣き叫ぶしおんに、彼女を抱く力を強めて、ハッキリと、彼女に伝えた。
 「生き、たい?」
 私は生きていたいのか。しおんは考えた。でも、生きる目的が見付からない。昂が、もういないから。
 「でも、私にはもう、ここに生きる意味がない。」
 だから死のうとした。だけど、いざとなると、それはとてもこわかった。
 「生きることに意味なんていらない。俺たちは、幸せだから生きるんじゃない。幸せを求めるために生きるんだ。」
 「幸せを……。」
 いつか、昂さんも同じことを言っていた。たしか、何かの小説の受け売りだって言ってたっけ。
 「どうしたいんだ?君は。」
 「私は……。」
 私は、まだ幸せになれるのだろうか。昂さんをひとりにして、私だけが幸せになっていいのだろうか。ずっと一緒だと約束した。一緒に幸せになろうと。けれど、それはもう一生叶わない。だったら、どうすればいいのか。選択肢は二つ。生きるのか、死ぬのか。
 「死ぬのは、こわかった。死ぬのは、もういや。独りよりもこわかった……。」
 なら、答えはもう一つしかない。
 「私、生きたい……。」
 そう願った瞬間、しおんは打ちつける雨の痛みに気付いた。その冷たさと、針のように刺す感覚を、全身で受け止めた。と同時に、視界がボヤけ、握っていた銃が手から滑り落ちる。
 意識を、失った。


―・Sion Kikuchi・―
 目が覚めると、見たことがない天井がそこにあった。ベッドに寝ていた。周りはカーテンで閉じられている。まるで保健室か、そうでなければ病室だった。
 「生きてる。」
 思わず心からそんな言葉が出た。
 部屋の中には明るい光が差し込んでいた。体を起こし、窓の所まで歩く。それで初めて気付いたけれど、私がいま着ている服の胸元に、霧宮病院と刺繍が施されていた。入院服だった。ということは、ここはその病室なのだと確認できる。加えてここは一人部屋のようで、病室には私しかいなかった。
 「あ。」
 窓の外の木の枝に小鳥が停まるのが見えた。ピョンピョンと跳ねるように枝を移動しながら、やがて付け根の所へと辿り着く。
 見ると、そこには巣箱が設置してあった。その小さな穴からは、 四匹のヒナがエサを欲しがって口を開けていた。さっきの小鳥はヒナに口移しをすると、また飛び立って行った。


 お昼になって、病室に人が来た。お医者さんと看護師さんはさっき来たばかりだから、私宛の来客?
 「やあ。元気そうで何よりだ。」
 ベッドの上からさっきの巣箱を見ていただけだけど、そう言われた。
 「あの、どちらさまですか?」
 見知らぬ男の人の訪問に警戒し、シーツで体を覆う。
 「ごあいさつだな。須坂だよ。」
 警察手帳を取り出し私に見せる。本物の刑事さんだった。
 ああ、そうか。思い出してきた。そういうことなのか、やっぱり。
 「目が覚める前、夢を見てました。母の家出や、父が死んだ時のこと。それから、昂さんと出会ってからのこと。」
 「……そうか。」
 「昂さんは、死んだんですね。」
 「……ああ。」
 「やっぱり、夢じゃなかったんですね。」
 「ああ。」
 「須坂さん。」
 「なんだ?」
 「助けてくれて、ありがとうございました。」
 「気にするな。そんなことよりコレ、お見舞い。」
 渡された袋には、いくつかのりんごが入っていた。
 「あの、なんでわたしがりんごを好きって分かったんですか?」
 「あ、そうなの?よかった。いやぁ、お見舞いとしては花束の次に定番かと思ったんだけど、他に思いつかなくてね。どうも、考えることは苦手みたいだ。」
 それは刑事さんとしてどうなのだろう。しかしそういうことか。少し、びっくりした。
 「そっか、りんご好きか。食欲はあるか?一個むこう。果物ナイフも持ってるから。」
 そういうと彼は、袋の中からひとつ選んで、皮をむいて一口サイズに切ってくれた。
 「あの、今日は何でお見舞いに?」
 りんごをかじりながら、須坂さんに訊ねる。
 「今日は非番でね。といっても昨日も顔出したんだが。ああ、因みに、今日はあれから二日経ってるからね。医者の先生から聞いてる?」
 「いえ、何も。……じゃあ今日は火曜日で、私は昨日一日中寝てたんですね。」
 「そうなるね。」
 どうりで、体が軽いと思った。
 「そうだ。まだ君に渡すものがあるんだ。」
 「?」
 彼は背広のポケットから、小さな、手の平サイズの箱を私に手渡した。
 「これは?」
 「七門くんから預かったものだ。」
 「えっ……。」
 「実は、七門くんが刺された後 最初に彼のところに駆けつけたのが僕なんだ。その時、自宅にいる君に届けてくれと、頼まれたのがそれだ。」
 それは指環だった。シンプルなデザインの。いつか、ふたりで買い物をしていたとき、私が欲しいとせがんだ指環。その時は高いからダメって言われたけれど、買ってくれたんだ……。
 「きっと、約束の指環だったんだな。」
 そう。でも。
 「でも、バカだよね。死んじゃったら意味ないじゃん。折角買っても、意味、ないじゃない……。――ホント、バカッ。」
 「心中お察しする。でも、それを君に渡せてよかったよ。」
 その言葉に、こらえていた涙が溢れ出した。
 「私も、生きていてよかったです。」
 「うん。」
 私は、彼の顔を見た。涙が邪魔してハッキリ見えなかったけど、でも、彼に向かって真っ直ぐ、
 「ありがとうございます。」
 深く、感謝した。


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2000年12月26日

終結来ず、来る終幕 # Investigation-I "Late.12.2000"

 殺された母親の下で意識を失っていた少女、松本奏樺が眠りから覚めた。捜査本部からその連絡を受け同時に彼女が入院している病院へ向かうよう指示された霧積と碓氷は、隣町の十牧市民病院へと急行した。
 「さすが公立病院というだけあってデカいねえ。」
 「なんか嬉しそうですね。」
 「おうよ。俺たちが一番乗りだぜえ?それも俺がわざわざここまで昼飯を食いに来たからだ。」
 十牧市は霧積が所属する岩音市の北に位置する。岩音市は十牧市に隣接しているが、警察署が市の南に位置するためこの病院までは車でも三十分は掛かる。それに比べ先程まで彼等が食事を摂っていた食堂とは約十分と離れていない。
 「まあ、いいですけど。面会なんてできないと思いますよ?」
 「そうだろうよ。だから俺たちが用があるのはあっちだ。」
 看護士が何人もいる受付を指さした霧積はその内の一人と二言三言話をした後、北の病棟へ案内された。もちろん碓氷も追従する。
 歩が止まったのは長い廊下に立ち並ぶ部屋の中で唯一表札が貼られた、そして一番奥の扉の前だった。
 「ここか。松本奏樺の主治医の部屋。」
 「なんか、病院でこういう薄暗い場所って気味悪いですね。」
 「なんだ?お前刑事のくせに幽霊とか信じてるんじゃねえだろうな。」
 そう言いながら扉をノックする霧積に対し碓氷が言い訳をしようとしたところで、油のノリが悪い扉が重たく開いた。
 「どうも。岩音警察署の霧積と碓氷です。樋継先生かい?」
 北側の部屋だというのに、窓に取り付けられたシャッターブラインドは不気味さの演出に更に一役を買っていた。唯一の明かりはデスクの上のスタンドの蛍光灯だけで、それも長年替えていないのかかなり黒ずんでいる。
 「あ、はい。はじめまして。樋継健司です。……ああ。どうぞ、中へ。」
 目の下に隈を残しながら実に眠たそうな挨拶を返す。およそ医師として不釣合いなのかどうかという曖昧な名を持つ彼が、松本奏樺の主治医である。年齢は三十路前ほど。おそらく交際相手はいないだろう。皺の多い白衣とボタンを掛け違えたシャツ、おそらく自分で切ったのであろう不揃いな髪型からそういう印象を受ける。
 「岩音からわざわざご足労いただいて申し訳ないんですけど……、どっこいしょ。あの子から何か聞くのは難しいですよ。精神的にかなり参っている。人を見ただけで暴れだしましたからね、実際。いまはなんとか、鎮静剤を呑ませて大人しくさせていますが、長くは保たないでしょうね。……ああ、刑事さんたちもどうぞ座ってください。」
 話の途中で腰を降ろした樋継医師は思い出したように二人に椅子を勧める。しかし霧積は立ったまま話を続けたので、座り掛けた碓氷もそのまま立ち続けることにした。
 「で、先生から見て、人と話ができるのにどれくらいだ?」
 「なんともいえないですね。まだ小学3年生の子供ですから、ただでさえ親以外の大人は苦手って年頃ですし。」
 「姉っ子は会わせられないのかい。」
 「ああ、そういえば、この子お姉さんがいるんでしたっけ?」
 「ええ、ひとつ上の、小四の姉が。」
 「断言はできませんが、まあ唯一の身内ですし、何とか普通の会話はできるかもしれないですね。事件に関わること以外の話だったら。」
 「おいおいそりゃないだろう。」
 「無茶を言わないで下さい。事件を思い出して暴れだしたら、また鎮静剤を使わなければなりません。子供相手に何度も服用させると、今度は彼女が死にかねない。」
 「霧積さん。」
 「分ぁかってるよ。ここじゃお医者様は神様だからな。」
 ここで会話を中断し携帯電話で本部と連絡を始めた霧積を後ろに、碓氷は樋継に質問を続けた。
 「ところでその、彼女が目覚めた時、何か言わなかったですか?なんでもいいんですけど。」
 「どうでしょうね。悲鳴にしか聞こえませんでしたし、こっちは抑えるのに手一杯でしたから。」
 「そうですか。」
 「まあ、何か分かったらお知らせします。」
 「はい、よろしくお願いします。」

 樋継医師と話を済ませた2人は、病院の中庭にあるベンチで日に当たりながら缶コーヒーを飲んでいた。
 「で、どうなったんですか?」
 「何がだ。」
 「姉の女の子、会わせられそうなんですか?」
 「ああ、それなら今ごろこっちに向かってるだろうよ。」
 その割には、何か難しそうな顔をしている。
 「どうかしたんですか?」
 「いや、まあとりあえずな。」
 そう言いながらコートの懐から取り出したのは、ICレコーダーだった。
 「まさか、ずっと録ってたんですか?でもあの先生はそんな感じはしませんでしたが。」
 「まあ念のためだ。お前はこれ持って声紋分析回してこい。」
 「え、霧積さんは?」
 「俺ぁ姉っ子に聞きたいことがある。」
 霧積は最後の一口を流し込むと空き缶を離れた場所のゴミ箱へ投げ入れた。
 「心配すんな。帰りはタクシーで帰る。」
 「公費で?」
 「公費で。」
 「……迎えに来ますんで、終わったら連絡下さい。番号知ってますよね?」
 「そうか。悪いな。番号は、おう、登録してあるぜ。」
 「じゃあ、行きますけど。問題は起こさないで下さいよ?」
 「おぉう。」
 心の中で大きなため息をつきながら、碓氷はその場を離れた。
 碓氷一良は本庁の刑事であり、霧積のお目付役でもある。たまに暴走しがちな霧積を制止させるよう、上から云われている。ベテランである霧積には、同じベテランの忠告よりも新人の忠告の方が有効であるという判断からだった。一方霧積正和は所轄ながらも、そんな碓氷の教育係を担っている。立場が曖昧な上、実にバランスが悪いようでいて、実はなかなか良いコンビなのだっだ。


 「奏樺、大丈夫?」
 「……うん。」
 「ケガもない?平気?」
 「ケガ?」
 「うん……。その、痛いところとか、ない?」
 「ない。」
 「奏樺、ごめんね。ひとりにして。こうなったの、わたしのせいだよね。奏樺、本当にごめんね。」
 「ねえ、カナカって。」
 「え?」
 「カナカって誰?」
 「奏樺?……あの、先生?」
 「予想はしていましたが、最悪の結果ですね。」
 少し離れたところからの声。
 「どういう意味ですか?」
 医師の足音が聞こえ、すぐ近くで止まる。
 「僕は君の主治医で樋継健司といいます。君が松本奏樺ちゃんではないなら、君の名前はなんていうのかな。」
 「名前……。名前は、五十鈴空[いすず そら]。」
 「なにそれ。先生、どういうことですか?」
 「奏樺ちゃんは心を閉ざしてしまったということです。」

 「と、まあそういうことだそうだ。」
 ICレコーダーの再生を止め、霧積は腕を組んだ。
 「この後もう一度医者先生と話したんだが、この妹子の状況は事件時のショックによる精神保護のための無意識の自己防衛だとかなんとか。とにかく勝手にもう一人の人格を生み出して、自分の身に起こったことをなっかたことにしたそうだ。」
 背広の男とは不釣り合いなほどおしゃれな喫茶店での一角。碓氷はテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばし、カフェインで口を潤しながら霧積の言葉を聞いていた。
 「ヘヴィですね。」
 「なんにしても、手掛かりはこれで減っちまった。他の砂利ん子はホシを見てねえし、医者先生も白だ。地道に物証挙げるしかなくなってきたなあこりゃ。」
 確かに、自分たちが集めた手掛かりはどれも犯人に繋がることなくその意味を失ってしまい振り出しに戻った。
 「そうだ碓氷。お前明日霧宮まで行け。」
 「霧宮?なんで。というか、また別行動ですか?」
 「ムコウからの応援要請だ。ホシは霧宮の公衆電話から犯行予告を掛けている。上の連中も承認済み、霧宮の所轄と合同捜査になるから仲良くやれととさ。俺は明日休暇だ。」
 「はあ、そうですか……。ところで霧宮町の電話ボックス全て調べて回るんですかね。」
 「そうだろうよ?霧宮は既に全ボックスに対し監視体制に入ってるそうだ。もっとも、犯行後に予告の電話をしている可能性もあるが。」
 「そして、別の場所から掛ける可能性もある。」
 「奴さんとのイタチごっこになるか、網に引っかかるか。ま、根比べだな。」
 四日間で三世帯の被害。多すぎる犠牲だ。しかしこの三世帯の繋がりも共通点も今のところ見つかっておらず、犯人の意図も分からないままである。
 「ところで霧積さんって、休みの日は何して過ごしてるんですか?」
 「まあ主に散歩だな。例えば散歩の途中で仕事中のお前らとバッタリ会ってもそれはただの偶然だ。」
 要するに休みの日でも捜査してるということか。碓氷はそれに改めて尊敬しつつも少し呆れてしまった。
 「それで、明日は何処へ行くんですか?」
 「言えん。そりゃ秘密だ。」
 「そうですか。」
 「さて、そろそろ帰るか。」
 霧積が立ち上がったので碓氷もつられて席を立つ。周りを見ると学生や若いカップルの数が増えてきていた。


 しかしその日以降山川町での事件は途絶えた。そのまま一ヵ月が経ち、年が明けしばらくした頃。捜査本部及び周辺各署の総合的判断により一時警備の緩和化を決定。
 その半月も及ばぬ内に、霧宮町を中心に連続通り魔事件が発生。その第四の被害者、七門昂の勇気ある行動とその犠牲によりその犯人は現行犯逮捕される。
 彼はその通り魔事件についての供述の中で更に夫妻殺害事件の犯行を自白。警察も関与の裏付けを取り、再逮捕を行う。
 かくして、このふたつの事件は十名という多すぎる犠牲者を出した。

 だが未だ終わっていなかったのだ。この事件の真の解決と結末は、三年後へ持ち越されることとなる。



posted by トキツネ at 15:00| Comment(0) | クローバー_A-side | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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