「季沙ー?」
部屋をノックし中の様子を見ると、いつも通り机に向かい勉強をしている妹の姿。先日学校から帰るや部屋にこもり泣き続けていたこともあり心配しているのだけど、問い詰めても何も教えてくれず困っている。だからこうもいつも通りの姿を見ると余計に気がかりになる。
「季沙ってば。」
耳からヘッドフォンを外し改めて名前を呼ぶ。
「あ、姉さん。なに?」
やや驚いた様子でズレた眼鏡を直しながら振り向く。
「これから夕飯の買い出しに行くけど、何か欲しいものある?」
「ううん。特には。」
「そ。じゃー後から思い付いたらケータイに連絡して。」
「うん。……あ、姉さん。」
「ん?」
「一緒に行ってもいい?」
双子といっても、あらゆる事柄が同じであるとは限らない。勉強の度合いによって成績は変わるし、体格や性格だって異なる。あたしと季沙も例外ではない。服装も然り、片やスカートとオーバーブラウスを着こなす凜とした佇まいの季沙。片やショートパンツにパーカーの猫背気味のあたしだ。
「で、なんで眼鏡?」
「だって、姉さん待たせてるし。」
「タイムセールじゃないんだし、ゆっくり準備してきていいんだよ?待ってるから。」
「うーん。でも、いいや。」
暗に、その地味な眼鏡がすべてを台無しにしてるんだぞと言ってやっているんだけど、どうやら気づいてもらえないようだ。これでいて彼女自身は気に入っているようで、自宅などのプライベートやちょっとした外出ではずっと眼鏡を掛けている。学校に行く時はコンタクトらしいけど。
「じゃ、行こうか。」
諦めたあたしは、季沙と並んで商店街まで行く。家からはすぐ近くで、ものの十分くらいで入り口に到着する。その先を抜けると噴水のある広場があり、駅前と言うこともあって噴水前はよく待ち合わせに使われる。
「ところで何買うの?」
ゲートの入り口に付いたところで季沙が訊ねる。
「たまご。オムライス作ろうと思って冷蔵庫見たらなくってさ。」
「あ……そっか。ありがとね、姉さん。」
「ばっか。そんなんじゃねーやい。」
今晩のメニューを言ったのは失敗だった。オムライスは季沙の好物なのだ。それで元気づけようとしていたあたしの目論見があっさりとバレてしまった。これほど恥ずかしいことはない。
「うん。そういうことにしておく。」
それでも、久しぶりに季沙の笑顔が見られたから、良しとするか。
その後季沙は参考書を見に行くということで、一時別行動を取った。あたしはスーパーでの用事を済ませてから季沙と合流すべく本屋に向かった。
「よ、季沙。そっちはどう?」
本棚で立ち読みに耽っている眼鏡娘を見つけ声を掛ける。よくまー参考書をそうも熱心に読めるものだと感心してしまう。
「うん。これなんかいいかなって。」
見せてもらってもさっぱり分からんので、適当に相づちを打っておく。
「じゃあ会計してくるね。」
そのままレジに向かうと思いきや、季沙の足が止まる。どうしたのかと問おうとする前にある人物と目が合った。坂本誠だ。ヤツは気まずそうな面持ちで、季沙とあたしを交互に見ている。季沙はと言うと、参考書を胸の前で抱きかかえながら、ヤツと顔を合わせようとしない。どこか、辛そうな表情をしている。
何かがあったのは、明白だ。それも、あまり良いことではない。
「あんた――」
「まことー、お待たせ。」
あたしがヤツを問い詰めようとした時、その後ろから小柄な少女が現れた。前髪は切り揃えられていて、片側だけ長く伸ばした横髪の先端はかわいらしいリボンで結んである。その少女はあたしたちを見るとぺこりとお辞儀をした。その様は外見とは裏腹にやけに大人びて見えた。
「お知り合い?」
少女が問う。
「ああ、クラスで一緒に委員長やってる、浅野季沙さんと、えーと……、」
対外的には初対面と言うことなので、坂本誠は言葉を詰まらせながらあたし達を交互に見ている。
「初めまして、季沙の姉の沙季です。」
季沙が喋れそうにないので、自ら名乗る。それを聞いてか季沙がハッとなり、
「はじめまして。」
と一歩退いて、あたしの後ろに立ち挨拶をした。
「これは失礼しました。わたしは坂本誠の幼なじみの、中岡麻子といいます。この春からこちらに越してきて、来年からは先輩達の後輩になる予定なので、よろしくお願いします。」
「転入生?中等部?」
「はい。ドイツに留学していたのですが、高等部には転入制度がなく、さらに入学条件に日本の中学校を卒業することがあったので、三年生から。」
それにしたってうちの転入試験はたとえ高等部の人間でも誰も合格点取れないほど難しいって噂が高いのに、それをパスしたってことなのか?
いや、いまの問題はそこじゃなかった。後ろで隠れている季沙の顔を見るが、どう見ても恥ずかしくて隠れているという感じではない。先日大泣きしていたことと、なにか関係があるんだろうか。
「で、今日はようやくこいつの教科書が届いたって連絡が入ったから取りに来たんだ。」
「こいつってヒドい!」
「ははは、ごめんごめん。」
と、裾が引っ張られた気がして振り向くと、今にも泣きそうな顔で首を振っている。確かに、片恋相手のこの状況は見せられて気分のいいものじゃないだろう。
「じゃあ、ごめん。あたしら夕飯の準備しなくちゃだから、そろそろお暇するわ。中岡さん、またね。」
坂本誠には挨拶はしない。その代わり最上級の睨みをくれてやりあたしたちはその場を去った。
「元はと言えば、私が悪いの。」
商店街から家には帰らず少し散歩をしようと進言し、学校近くの公園へ来ていた。そのベンチに座り、自販機で買ったジュースを渡したところで季沙がやっと口を開いた。
「私が勝手に生徒手帳を見て、そこにね、あの子がいたの。」
「中岡麻子?」
無言で頷く。
「ふたりとも笑ってて、すごく仲よさそうな写真だった。それで、ああ、きっと坂本くんは、この子のことを好きなんだな、って。」
今どき生徒手帳にそんな写真入れるヤツがいるのか。坂本誠、意外と女々しいな。という感想はさておき、それがこの前泣いていた理由、というわけか。
「季沙はそのままでいいの?」
「え?」
「中岡麻子曰く、幼なじみなんでしょ?あの言い様だと付き合ってるってわけじゃなさそうじゃない。」
「でも、坂本くんは中岡さんのこと好きだよ。絶対。」
「だーかーらー。付き合ってないなら割り込む余地はあるでしょーに。」
とは言いつつも、季沙には略奪愛が出来るとは思っていない。人を裏切るような行為を、この子は絶対にしない。案の定、「そんなの駄目だよ。」と消極的な答えが返ってきた。
「そうは言うけどね。あんた、何も告白せずに胸の内に留めておいて、それで後悔なくこれから先を過ごせるの?少なくとも、半年は間違いなく辛い思いするハメになるよ。」
もし紗羅がこの場にいたら、今の言葉をそっくりそのままお返しされるだろう。そうだ。要するに、あたしが後悔していることを季沙に分からせればいいんだ。
「何もせずに後悔し続けるより、たとえ玉砕でも告白した方が気分は良いと思うよ。」
あたしのその言葉に季沙はしばらく考え、缶のフタを開けて中を一気に飲み干した。そこには、もうさっきまでのくよくよ顔の季沙はいなかった。
「うん。そうかもしれないね。……ありがとう。やっぱ姉さんは私の姉さんだ。」
「何それ。当たり前じゃん。」
「そうだね。」
「さ、帰ってごはんにしよう。とびきりおいしいオムライスを作ってあげるからねー!」
そう、これでいいんだ。あたしの初恋は叶わなくてもいい。伝わらなくてもいい。いや、伝えてはいけないんだ。この恋は、きっと季沙を不幸にする呪われた想いだから。