妹が初恋をした。
新学期早々やけに嬉々としているからなんだと思ったら、どうもそういうことらしい。
聞けばその男、妹と同じ委員長職に立候補したとかで、もう脳内桃色お花畑、ベタ惚れのゾッコン状態のようだ。
まあ姉としては漸く訪れた妹の春を応援したい気持ちもあるので、どんな男なんだろうと一度確認してみたけどどうやら姉妹とはいえ好みはまったく異なるようだ。あの子は一目惚れと言っていたけど、別にそんなことはなかった。確かに綺麗な顔立ちではある。男前かと問えば十人中七人位からはイエスと回答を得られそうだ。
そこであたしは、ヤツと話をしてみることにした。季沙に扮して、ヤツが気付くかどうか少し興味もあったからだ。
そしてある日。季沙が部の朝練でいない日を狙ってそれを実行した。
「おはよう、坂本君。」
「浅野か。おはよう。」
あたし達が通う学校には、校門へ続く一本道がある。距離にしておよそ一キロ。今はもう散り際だけど、始業式の頃には満開になる桜並木と、秋になると見事な紅葉狩りができるダブルの並木道。更にその根本は向日葵だったり椿だったりの植え込みがありここだけで四季折々を楽しめるようになっているのだが、実に掃除が大変な並木道だとシーズン毎に地面を見る度思う。
学生は皆この道を通るので、偶然を装ってヤツに声を掛けることにする。そこで待つこと三十分、漸く現れた。しかしそんな様子を微塵も見せる訳にもいかないので、「早いね。電車通いだっけ?」と爽やかに話題を繰り出す。
「ああ。家が隣町だからね。親が定期代出してくれてるし、自転車よりは楽だしね。」
「なるほどぉ。」
しかしなんだ。こうして男子と話すのは初めてなんじゃなかろうか?愼を除けば。
「ところで浅野ってさ、部活何やってたっけ?」
会話が途切れたところで坂本誠が話題を変えてきた。しかも部活を聞いてくるということは、少しは季沙に興味があるのか?
「ん、吹奏楽部だけど。」
「え、そうなの?だったら中等部に妹がいる筈なんだけど、知らない?坂本泉水。」
「え?」
なんとこれは予想外の事態が起こった。妹がいて吹奏楽部だと?そんな情報は知らない。中等部となると季沙とは少なくとも二年間の付き合いがあることになるが、
「あー、あの子が?……あんまり似てな、くない?」
「はは、よく言われる。」
「あはは。」
よし、誤魔化せた。
「あれ、でもそれなら朝練は?今日あいつ寝坊したって言って大慌てで出てったけど。」
「……。」
チ、そっちに気付いたか。目ざといヤツめ。……あー、しょうがないな。
「あー、まー、なんだ。ホントはあんたが気付くまで続けようと思ったけど、季沙の評価を下げる訳にもいかんのでねー。はい、じつはあたし季沙の姉の沙季さんなのでしたー。」
「ああ、なるほど。」
「あー?なに、その感づいてたような納得の仕方は。」
「自信は半々だったけどね。きみ、浅野よりはちょっと声低めだよね。風邪かなとも思ったけど、やっぱ別人だったのか。」
「声、判るの?」
これは驚いた。今まで容姿で判別されても声でそれを出来た人はいなかった。ましてや今日初めて会ったのにだ。普通は今回みたいに容姿を変えれば大抵見分けは付かない。
「俺は俄だけどね。絶対音感に近いから、漠然としか判らないんだけど。妹は完璧だよ。」
「……へー。」
少し、感心した。少し、な。
「で、なんでこんなこと?」
「そーさな。もーすぐ校門に着くし、手短に。これから委員会の仕事が増えてくるんだけどさ、夜遅くなるのは心配な訳よ。そこであんたにミッションだ。委員会がある日だけでいい。あたしのかわいい妹を我が家まで無事に送り届けなさい。もし電車代がかさむようならその分はあたしが出そう。どう?」
「初対面相手にいくらなんでも信用し過ぎじゃないか?」
「無論、あたしはあんたを信用してないさね。でも、あんたを信用した季沙のことは信用してる。これ以上ないくらいにね。」
「浅野が、俺を?」
「んなこたいーよ。で?どうすんの。インポッシブルとは言わせねーよ?」
「……。いいよ。請け負った。」
「よし。あ、そーそー。いまここであたしとあんたが話していたことは季沙には内緒。家まで送るってことはあんたから進言しなさい。そう嫌な顔しなさんな。あたしとあんたはまだ会ったことはない。これは絶対条件だかんら。じゃ!」
丁度校門に着いたので一方的に話を切り上げ昇降口まで駆けた。
よし。言うだけのことは言ったな。我ながらお節介だとは思う。けどなー、季沙ってば間違いなく奥手になるだろうからなー。
「あら、沙季じゃない。」
靴を履き替えたところで知った顔に出会った。幼馴染みの斎藤紗羅。あたし達姉妹を見分けられるのは紗羅のような付き合いの長いごく一部だけだ。だから普段はあたしが髪を下ろして、季沙が結うことで見分けをつけている。
「あなたが男と登校なんて珍しい。明日は台風かしらね。」
「なに、見てたん?」
結った後ろ髪をほどいていたずらっぽく笑う幼馴染みを見上げる。
容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備、エトセトラ。成績はいい、美人で背も高いモデル体型。それがこのお嬢様だ。
「まぁね。そろそろその彼氏が追い付いてくるから、歩きながら話しましょうか。」
そんな訳で、教室までの間でさっきのやり取りといきさつを説明した。因みに紗羅とは同じクラス、席も前と後ろだ。
「へぇ。季沙も大変ね。過保護な姉を持って。」
優しさと言ってほしいところだけど、否定もできないので黙っておく。
「それで?彼はお姉さんのお眼鏡に敵ったのかしら。」
「さーね。季沙と付き合うようになったら考える。」
「まぁまぁ。うふふ。」
上品な笑い方とは裏腹に顔はにたにたと面白がっている。たぬきめ……。
「でもいいの?あなたの初恋の方は。」
急に真剣な声を出したと思ったら、あー、そのことか。
「まー、けじめは付けるさ。今もその気持ちは変わってないからねー。」
あたしは机に突っ伏して答える。
「そぉ?だったらいいけど。困ったわね。私は沙季と季沙ふたりとも応援したい気持ちなんだけど、そうもいかないわね。」
「うっせー。」
「……そうね。わたしも沙季のこと言えないか。」
紗羅がそうぼやいたところで担任が教室に入ってきた。紗羅はあたしの席に振り向いていたから前へ姿勢を戻す。その振り向き様に「難しいわよね、人間関係って。」と言葉を残して。
まったくだ。自分の想いを躊躇いなく相手に伝えられたら、どんなに心が楽か。
ただ当たり前に好きなだけなのに、なんでこうも苦しいのか。けじめを付けるとは言ったものの、あたしの初恋は本当は心の内に留めておくべきもので、伝えるべきでは、ない。
だからあたしは、季沙の初恋をサポートする。それがいいんだ。季沙の幸せが、あたしの幸せだから。それで、いいんだ。
出席で名前を呼ばれたことも気付かぬ程に、あたしはそれだけを考えていた。