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窓の杜(無料)
2002年04月30日
―・Saki Asano・―
商店街から少し離れた閑散とした通りに、周囲の建物とはアンマッチなゴシック調の風貌をした喫茶店がある。お気に入りのそのお店であたしはいつも通りのコーヒーをふたつ注文した。ひとつは自分の分。もうひとつは連れだって入ったコイツの分だ。
程なくしてこの店のマスターでありウエイトレスのクロエさんがカップをテーブルに運んできた。
「カレシ?」
「そんなわけないじゃないですかあ。」
「そうだよねー。あははははは。」
クロエさんとは自分のことをいろいろ話しているくらい親しい間柄で、たまにこうやってジョークを挟んでくる。
「今日は一杯分サービスしておくわ。ワタシからのおごり。」
「ありがとうございまーす。」
さっそく一口いただく。うん、やっぱりおいしい。因みにあたしは砂糖もミルクも入れない。ブラックでそのままコーヒーの風味を愉しむのが一番おいしいからだ。
「さて。で、話ってなんなんさ?」
こういうしゃれた場所に慣れていないのか、さっきから一言も喋っていない目の前のヤツに問いを投げる。
しばらく考え込み何かを言おうとしては口をつぐむ。なかなか踏ん切りが付かない様子でとりあえずその場を誤魔化すようにカップに口を付けると、やや顔をしかめた。どうやらコイツはブラックが苦手なようだ。
「……あのさ、」
そっとカップを戻すと、ヤツはやっと口を開いた。
「姉さん!」
昼休み。紗羅とこれから弁当を食べようと向かい合ったところで隣のクラスから妹が飛び込んできた。
「どうしたん?そんな慌てふためいて季沙らしくない。」
「あの、ちょっといい?できれば二人で。」
「えー、あたしこれからおべんとー。」
「ごめん紗羅、姉さん借りてくね。」
「いってらっしゃい。待ってるわ。」
「そんなー、たーすーけーてーよー。」
有無を言わさず腕を引っ張り教室を出る妹と表面だけの笑顔を振りまき手を振る幼なじみ。救いの手なんてどこにもなかった。
「でー?なんなんさー。おなかへったー。」
お昼の食事時になぜか特別棟にいるあたしたち。特別棟とは特別教室が設置されている校舎で、つまり今の時間帯は誰も寄りつくことがない。
「あのね、坂本くんに呼び出されちゃった!」
「はぁ?」
ぱーどぅん?わっでぃっじゅーせい?
「なんて?」
「坂本くんが、放課後にちょっと話したいことがあるんだけど、って……。」
「なんで?」
「分からない。でも、どうしよう?」
どうしようも何も、そりゃ字面だけ見て思い付くのは告白とかそういうシチュエーションだけど、しかし昨日の今日だ。昨日、ヤツは幼なじみであるところの中岡麻子と連れ添い、そらもー仲の良い印象をこちとらに見せ付けてくれた。となると、別の案件か。
「どうしようってもなー。季沙はどうしたの?訊かれた時、なんて答えたんさ。」
「時間空いてる?とも聞かれたから、ちょっと分からないから後で確認してみるって、保留中。」
「うーん。ちょっとでも内容を聞いてたりはしないんだよね?」
肯定の季沙。
行けば?と言うのは簡単だ。でもどうだろう。アタリかハズレか分からない博打でもある。或いはチャンスかも知れない。うーむ。
「ねえ、チャンスかな、これって。だけどやっぱりちょっと怖いな。」
季沙も同じ考えらしい。ハイリスクなくせに、その先の分岐がハイリターンかノーリターンかの違い。難題この上ない。
「あ、そうだ」
何か思い付いたらしい。
「もしよかったら姉さん代わりに行ってくれない?」
「は?」
ちょっと待て、なんだと?
「昔よくやってたじゃない、お互いの髪型を変えてクラス入れ替わったり。紗羅にはバレちゃうけど、姉さんは坂本くんとは昨日初めて会ったばかりだし、大丈夫だよきっと。」
いや、既にそれをやって見破られてるのだよ。とは言えない。
「も、もしこっ、告白とかされたら、どーすんのさっ。」
「その時は……、正体バラして私に言ってくれれば……。」
「アホか。あんた、自分への告白自分で聞かないでどーすんのさ。」
「で、でも、昨日の子のこともあるし、それはあまり、考えられない、と、思う。」
だんだんと小さくなっていく声。確かにそれはさっきあたしが行き着いた解答だ。向こうから告白の線はない。だのに安心して挑めないというのは、恐らく中岡麻子に関する相談を持ち掛けられた場合だろう。季沙なら、堪えられない。
でも問題は他にもある。あたしと季沙の違いを、ヤツは看破していると言うことだ。でも季沙はそれを知らない。この子にとって、頼みの綱はあたしだけなんだ。
「わーった。やってみるよ。」
「いいの?」
「その代わり、もしチャンスがあってもあたしは告んないかんね!それは自分でやんな。」
「うん。ありがとう、姉さん。」
心の底から感謝の念が伝わる笑顔。同じ顔のハズなのに、あたしには到底マネ出来ない、そんな表情。
なんでこの子は、そんな笑顔をあたしに見せるんだろう。その笑顔が、あたしには眩しすぎて、痛すぎるというのに。
放課後、あたし達は一度トイレで落ち合って髪型を変え、クラス章とカバン、携帯電話などの小物類を取り替え、昇降口で別れた。このあと、季沙は商店街で夕食の買い物をしてから帰宅。あたしは男と密会と、そういう寸法だ。……笑えない。
季沙に指示された場所に向かうと、そこには既に坂本誠が待っていた。
「やあ。悪いな、呼び出して。」
なんとも張りのない声だった。今日一日こんな調子だったのか、コイツ?
「ううん。」
それはともかく。この前、季沙より声がやや低いと指摘されたので、意識してやや高めの声を作り答える。極力会話はせず、短い言葉だけ発すれば、簡単にはバレないだろう。
「ただ呼び出しておいてあれなんだけど、あまりここら辺詳しくなくて。どこかファストフード店とかある?」
ジャンクはあまり食べないから思い付かないな。……男とふたりでってのはちょっと気が引けるけど、あそこにするか。あそこなら目立つこともないし、マスターの口も固いし。
「こっち。」
指をさし先導する形で前に出た。くそー、なんでこんなに緊張するんだよ。クラスとりかえっこの時だってもっとお気楽だったのに!
二十分程歩いてようやく目的地に着いた。実際の体感時間はもっと長かったけど、時計は嘘をつかない。
学校からここまで、途中の商店街を避けて通ると、喧騒から離れた静かな住宅街がある。和式の古風な家屋だったり新築の分譲マンションがあったりとそこに統一性はないが、中でもひときわ目を引く煉瓦造りの喫茶店がある。目立っているのに、だけどそこにあっても全然違和感がなく、矛盾した表現だけどそこにあるのが自然で当たり前のように溶け込んでいる、そんな不思議なお店。水出しコーヒーがおいしく、初めて来た時にすぐに気に入ってしまった。が、いつ入ってもお客は少なく、マスター曰くこれが普通らしい。常連の身としては経営状況が気になるところだけど、他にも収入はあるからご心配なくとのことだった。
「ここ。」
道中の会話をなるべく抑え、生返事で尽くしてきた甲斐ありなんとかバレずに済んだが、さて、これからどうしよう。本格的に話をするとなると、声が保つかどうか。
「浅野さあ、ちょっといい?」
「?」
振り向くと当然坂本誠がいるわけだが、その表情はどこか変だった。これから相談を持ち掛けるというにはさっぱりしているような、少なくとも学校で見た陰鬱なものではなかった。
「違ったらごめん。ひょっとして、浅野姉の方?」
なにぃー!?
「な、なんで?」
白を切る。
「や、いつもと声が違うかなって。ごめん。なんでもないや。」
どうする?このまま思い違いだと思わせるか。それでもあたしは声は変えていた方がいいんだろうなー。季沙のことを考えると、ここは演技を通した方がいいんだろうけど、いや待て、今回のことを無事完遂したら季沙はまた同じ手段を使うだろうか。その逆はどうだろうか。
「……。」
「浅野?」
「だー!ヤメだヤメ!なんだよなんで分かんだよー。わけ分かんねー。」
「じゃあやっぱり。」
「あーそーとも。あたしが沙季さんだ。文句あっか。つーかなんで分かんだよー。声高くしてたのに。」
「ちょっと高すぎたから。」
分かるかー!!
「もうアンタ科捜研にでも就職しちまえよ!」
「ちょっと、沙季ちゃん。」
入り口の前で騒いでいると、その扉が開き、その人物があたしの名前を呼んだ。
「あ、クロエさん。」
性別女、見た目は若いけどておばちゃん口調で年齢不詳、北欧人のように色白で大和撫子のような長い黒髪、あまり見慣れない濃いブルーの瞳、達者な日本語、故に国籍不明、訊いても教えてくれない。唯一分かっているのは「くろえ」という呼び名だけ。名字なのか名前なのかはこれまた教えてくれなかった。その上この喫茶店の名前「ダフニス」は、モーリス・ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」から取っているらしいので、本名かどうかも定かではない。つまるところ正体不明なのだ。
「あ、じゃないよ。入るの?入らないの?営業妨害はお断りだよ。」
「入る。入ります。ホラ、アンタも来な。」
「で、話ってなんなんさ?遠慮すんなや、ここでの払いだったらあたしが持つから。あー、因みにあたしは沙季だけど、季沙に話そうとしたことそのままでいいんだからね。あくまでも、いま、私は浅野季沙なんだから。」
「……あのさ、浅野は――」
「ストップ。」
「なんだよ。」
急かされて喋らされた上に遮られ、ややムッとした表情を見せる坂本誠。それを無視し、あたしはひとつの提言をする。
「あたしのことは沙季って呼びな。もちろん、季沙のことも名前で呼ぶこと。アンタはもうふたりとも知ってるんだしね、浅野ってだけじゃどっち呼ばれたか分からんでしょう。」
「じゃあ、今はなんて呼べばいいんだよ。」
「は?」
「今は浅野季沙なんだろ?」
「沙季でいいよ。」
「お前の言ってることが分からな痛って!なにすんだ!」
「脛を蹴ってやった。あたしのことをお前呼ばわりなんざ五十億年はえー。」
「はぁ。」
「あ、ただし季沙のことを名前で呼ぶには、ちゃんとあの子の許可を取ること。いいね?」
「分かったよ。」
ため息混じりの返事にイラッとしたが、ここは堪えよう。いつまで経っても話が進まない。
「で、何が訊きたいの?」
「お前が遮ったくせに。いったッ!」
「あ?」
「沙季さん。聞きたいんだけど、いいですか。」
「さんはいらない。敬語はやめろ。はいどうぞ。」
「……えっと、沙季、はさ。」
ここで言葉が詰まる。だんだんとこの男にイライラしてきた。季沙の頼みでなきゃ二度とご免被りたいくらいだ。そもそもあたしは昨日の中岡麻子との一件で季沙を傷つけたことを許すつもりはないのだ。たとえ季沙と結果的に恋仲になろうともだ。
「沙季は、好きな人はいるのか?」
「いるよ。」
「……どんな人か、聞いても平気?」
普通男子が女子にそーいうこと訊くか?てか、コイツ季沙にこんな質問するつもりだったんか。あたしが代わりに来て正解だったな。
「ひとつ教えたげる。あたしは、アンタみたいに女心を弄ぶヤツは嫌い。」
「弄ぶなんて、そんな。」
「フツーはね、女の子の気持ちに男子が踏み込んでいいもんじゃないの。それを聞き出そうなんて、弄ぶ他なにがあんのさ。」
「……。」
「ふぅ。まーいーわ。それで?アンタはあの中岡麻子って子が好きなんでしょ?」
「はっ?なんでそんなこと、まだ何も言ってないぞ?」
心底驚いている様子だった。バカなのか、コイツは。
「あのね。昨日のアンタの様子見りゃ、余程の木石でない限り分かるわさ。」
「……そうか。」
「はぁ。」
今度はこっちのため息が増える番だった。要するに、悪い予想通りだったというわけだ。コイツは今日季沙に、中岡麻子へ対する恋愛相談を持ち掛けようとしていたのだ。
「なんか面白そうな話してるじゃないかい。」
デザートを置きながら嬉々としたクロエさんが割って入ってきた。ってあれ?
「今日は頼んでないですよ?」
「なーに。他人の恋バナより高い物はないってね。幸い他にお客はいないし、本日の営業は終了。遠慮なく続けな。」
そう言われて入り口の表札を見ると、「OPEN」という文字がこちらに向いていた。もちろん普段の閉店時間よりも数時間早い。なんということだろう。この人はあたしらの会話に交じるために店仕舞いしてしまっていた。
「んで、チミは名前なんてんだい?マコトくん?で、幼なじみのその子のことが好きなわけだ。ははーん。告っちまいなよ。」
クロエさんてこんなに喋る人だったんだ−。普段は、口調はアレだけど物静かで、親身なお姉さんという感じだけど、坂本誠からいろいろ話を聞いて楽しそうに相づちを打っている様はまさにゴシップ好きなおばちゃんのようだった。
「いや、あの。」
坂本誠もたじろいでいる様子で、何かを言いたげだがクロエさんのマシンガントークに打ち消されてしまっている。
「だって三年ぶりだっけ?それで再会したんだし、チミとしてはチャンスなわけじゃない。だったらさー。」
「いや、だから、あの。」
「うん?」
「したんです。告白。……昨日。」
「おー!」
「……振られました。」
「おーう。」
沈黙するクロエさん。さっきまでのはしゃぎようといったらなかったが、今この瞬間からそれと対をなす程に黙りこくってしまい、挙げ句、
「沙季ちゃん、ワタシ明日の仕込みがあるから、あとヨロシク。」
あたしにお鉢を回してきた。
「あー……。」
どーするの!?この死んだ空気!
「クロエさん、とりあえずコーヒーもう一杯。」
呼ばれて、クロエさんはバツが悪そうに、音も立てずそーっと三杯目のコーヒーを持ってきた。
「まーとりあえず飲みなよ。ホラ、砂糖とミルク。」
さっきまでの悪態口調も、流石に柔らかくなるというものだ。
坂本誠の手付かずだったカップを自分の方へ引き寄せ、新しい淹れたてのものを差し出す。
すっかり冷めていたけど、あたしは構わず飲み干し、ヤツも砂糖を五杯、ミルクをひとまわり入れかき混ぜてから一気にのどに通した。
「甘党?」
「や、苦いのが苦手なだけで甘い物が好きってわけではない。」
「そーなんだ。」
で、なんの話をしていたんだったか。あー、恋愛相談だったな。
「傷口を開くようで悪いけど、今日相談したいことってのは、中岡麻子に振られたことなん?」
「それもある。実は、」
それから坂本誠が話した内容と先程クロエさんに説明していたことをまとめるとこうだ。
三年前、親の海外転勤に付き添いドイツに留学した中岡麻子。子供の頃から彼女のことを好きだったコイツは、その間も文通や電話でやりとりをしていた。そして今年三月、昨日話していた通り中等部転入のために帰国。両親は期間延長のため中岡麻子単身での帰還。唯一ドイツへ随行しなかった彼女の姉も、今は寮生活で自宅にはおらず、隣家である坂本家へ住まうことになったと。そして昨日、坂本誠の誕生日であったらしく、中岡麻子がそのプレゼントを渡したことをきっかけに思い切って告白するも、撃沈したと、そういうことだった。
まったくもって、季沙に聞かせられる話ではないなと改めて思った。
「で?あたしにどうしろと?」
「なんで振られたか分からなくて。」
知るか。
「本人に直接訊けばいいじゃないのさ。」
「聞いたさ。ただ、俺はそういうのとは違うって、それだけ。」
恋人にするのとは違う?つまり、幼なじみとしての意識しかないということだろうか。あたしだとどうだ?確かに、愼は恋人というより腐れ縁、弟みたいなものか。姉弟、姉妹……、か。季沙のことが頭に浮かんだがすぐにかき消す。今はあの子は関係ないでしょーに。
「幼なじみのままがいいってことじゃないの?あたしにも男の幼なじみいるけど、恋人の範疇にはないわなー。」
幼なじみでなくても同じだが、それはまた別の話だ。
「そういう感じなのか、女子って。」
「男子だってひとそれぞれでしょう。付き合いが長いからその分、有効範囲外。割とあると思うよ。」
「俺が変だったってことか。」
「だーからさー。それぞれだって。また新しい恋すればいーじゃない。」
「……ああ。割り切れたら、そうするよ。ありがとう。なんか、すっきりした。」
「なんだよ、きもちわりぃ。」
「素直に礼言ってるんだから素直に聞き入れろよ。」
「はっ。どーいたしました。言っとくけど、今日の貸しはデカいかんね。」
「覚悟しておくよ。」
坂本誠が帰った後、あたしは本当の店仕舞いを手伝っていた。
「悪いねー。お詫びに今日の分全部タダでいいよ。」
「マッタクですよ。クロエさんたら最悪なタイミングで逃げんだから。」
「うん。アレはマズかったと思ってる。」
なら逃げんなと言いたいところだが。まー結果論、季沙にチャンスが回ってきたということが分かったので、良しとしよう。
「ところでクロエさん、随分とキャラ変わりましたね。あっちが素ですか?」
「どっちも素さー。ただし、本当のワタシなんてもんはとうの昔に遠い場所に置いて来ちまってるがねぇ。」
「それって、」どういう意味ですか?と訊く前に、「野暮はお言いでないよぉ。」と遮られてしまった。ホント、謎が多い人だ。
「それにしても沙季ちゃんが間接キスしたのには驚いたなぁ。」
「え?」
なんだって?間接キス?誰が、誰と?
「だってホラ、マコトくんの冷めたコーヒー飲んでたじゃない。」
「あれは手付かずだったし、せっかくクロエさんが淹れてくれたのにもったいなかったから。」
「そんなことないよ。マコトくん、一口だけど飲んでたよ。」
まてまてまてまて。そんなはずはない。えーと?よく思い出せ。アイツはコーヒーが運ばれてからしばらく無言で、あたしがヤツを急かしてから、ヤツは、……ヤツは。ヤツは!
一口すすってた!!
「クロエさん、水!ていうか水道貸して!!」
あたしは口の中を何度も何度もゆすぎ、咽がかれる程うがいをした。
この浅野沙季、一生の不覚だった。
「やっぱあたし、アイツ大ッ嫌いだ!!」
posted by トキツネ at 18:00|
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2002年04月29日
―・Saki Asano・―
「季沙ー?」
部屋をノックし中の様子を見ると、いつも通り机に向かい勉強をしている妹の姿。先日学校から帰るや部屋にこもり泣き続けていたこともあり心配しているのだけど、問い詰めても何も教えてくれず困っている。だからこうもいつも通りの姿を見ると余計に気がかりになる。
「季沙ってば。」
耳からヘッドフォンを外し改めて名前を呼ぶ。
「あ、姉さん。なに?」
やや驚いた様子でズレた眼鏡を直しながら振り向く。
「これから夕飯の買い出しに行くけど、何か欲しいものある?」
「ううん。特には。」
「そ。じゃー後から思い付いたらケータイに連絡して。」
「うん。……あ、姉さん。」
「ん?」
「一緒に行ってもいい?」
双子といっても、あらゆる事柄が同じであるとは限らない。勉強の度合いによって成績は変わるし、体格や性格だって異なる。あたしと季沙も例外ではない。服装も然り、片やスカートとオーバーブラウスを着こなす凜とした佇まいの季沙。片やショートパンツにパーカーの猫背気味のあたしだ。
「で、なんで眼鏡?」
「だって、姉さん待たせてるし。」
「タイムセールじゃないんだし、ゆっくり準備してきていいんだよ?待ってるから。」
「うーん。でも、いいや。」
暗に、その地味な眼鏡がすべてを台無しにしてるんだぞと言ってやっているんだけど、どうやら気づいてもらえないようだ。これでいて彼女自身は気に入っているようで、自宅などのプライベートやちょっとした外出ではずっと眼鏡を掛けている。学校に行く時はコンタクトらしいけど。
「じゃ、行こうか。」
諦めたあたしは、季沙と並んで商店街まで行く。家からはすぐ近くで、ものの十分くらいで入り口に到着する。その先を抜けると噴水のある広場があり、駅前と言うこともあって噴水前はよく待ち合わせに使われる。
「ところで何買うの?」
ゲートの入り口に付いたところで季沙が訊ねる。
「たまご。オムライス作ろうと思って冷蔵庫見たらなくってさ。」
「あ……そっか。ありがとね、姉さん。」
「ばっか。そんなんじゃねーやい。」
今晩のメニューを言ったのは失敗だった。オムライスは季沙の好物なのだ。それで元気づけようとしていたあたしの目論見があっさりとバレてしまった。これほど恥ずかしいことはない。
「うん。そういうことにしておく。」
それでも、久しぶりに季沙の笑顔が見られたから、良しとするか。
その後季沙は参考書を見に行くということで、一時別行動を取った。あたしはスーパーでの用事を済ませてから季沙と合流すべく本屋に向かった。
「よ、季沙。そっちはどう?」
本棚で立ち読みに耽っている眼鏡娘を見つけ声を掛ける。よくまー参考書をそうも熱心に読めるものだと感心してしまう。
「うん。これなんかいいかなって。」
見せてもらってもさっぱり分からんので、適当に相づちを打っておく。
「じゃあ会計してくるね。」
そのままレジに向かうと思いきや、季沙の足が止まる。どうしたのかと問おうとする前にある人物と目が合った。坂本誠だ。ヤツは気まずそうな面持ちで、季沙とあたしを交互に見ている。季沙はと言うと、参考書を胸の前で抱きかかえながら、ヤツと顔を合わせようとしない。どこか、辛そうな表情をしている。
何かがあったのは、明白だ。それも、あまり良いことではない。
「あんた――」
「まことー、お待たせ。」
あたしがヤツを問い詰めようとした時、その後ろから小柄な少女が現れた。前髪は切り揃えられていて、片側だけ長く伸ばした横髪の先端はかわいらしいリボンで結んである。その少女はあたしたちを見るとぺこりとお辞儀をした。その様は外見とは裏腹にやけに大人びて見えた。
「お知り合い?」
少女が問う。
「ああ、クラスで一緒に委員長やってる、浅野季沙さんと、えーと……、」
対外的には初対面と言うことなので、坂本誠は言葉を詰まらせながらあたし達を交互に見ている。
「初めまして、季沙の姉の沙季です。」
季沙が喋れそうにないので、自ら名乗る。それを聞いてか季沙がハッとなり、
「はじめまして。」
と一歩退いて、あたしの後ろに立ち挨拶をした。
「これは失礼しました。わたしは坂本誠の幼なじみの、中岡麻子といいます。この春からこちらに越してきて、来年からは先輩達の後輩になる予定なので、よろしくお願いします。」
「転入生?中等部?」
「はい。ドイツに留学していたのですが、高等部には転入制度がなく、さらに入学条件に日本の中学校を卒業することがあったので、三年生から。」
それにしたってうちの転入試験はたとえ高等部の人間でも誰も合格点取れないほど難しいって噂が高いのに、それをパスしたってことなのか?
いや、いまの問題はそこじゃなかった。後ろで隠れている季沙の顔を見るが、どう見ても恥ずかしくて隠れているという感じではない。先日大泣きしていたことと、なにか関係があるんだろうか。
「で、今日はようやくこいつの教科書が届いたって連絡が入ったから取りに来たんだ。」
「こいつってヒドい!」
「ははは、ごめんごめん。」
と、裾が引っ張られた気がして振り向くと、今にも泣きそうな顔で首を振っている。確かに、片恋相手のこの状況は見せられて気分のいいものじゃないだろう。
「じゃあ、ごめん。あたしら夕飯の準備しなくちゃだから、そろそろお暇するわ。中岡さん、またね。」
坂本誠には挨拶はしない。その代わり最上級の睨みをくれてやりあたしたちはその場を去った。
「元はと言えば、私が悪いの。」
商店街から家には帰らず少し散歩をしようと進言し、学校近くの公園へ来ていた。そのベンチに座り、自販機で買ったジュースを渡したところで季沙がやっと口を開いた。
「私が勝手に生徒手帳を見て、そこにね、あの子がいたの。」
「中岡麻子?」
無言で頷く。
「ふたりとも笑ってて、すごく仲よさそうな写真だった。それで、ああ、きっと坂本くんは、この子のことを好きなんだな、って。」
今どき生徒手帳にそんな写真入れるヤツがいるのか。坂本誠、意外と女々しいな。という感想はさておき、それがこの前泣いていた理由、というわけか。
「季沙はそのままでいいの?」
「え?」
「中岡麻子曰く、幼なじみなんでしょ?あの言い様だと付き合ってるってわけじゃなさそうじゃない。」
「でも、坂本くんは中岡さんのこと好きだよ。絶対。」
「だーかーらー。付き合ってないなら割り込む余地はあるでしょーに。」
とは言いつつも、季沙には略奪愛が出来るとは思っていない。人を裏切るような行為を、この子は絶対にしない。案の定、「そんなの駄目だよ。」と消極的な答えが返ってきた。
「そうは言うけどね。あんた、何も告白せずに胸の内に留めておいて、それで後悔なくこれから先を過ごせるの?少なくとも、半年は間違いなく辛い思いするハメになるよ。」
もし紗羅がこの場にいたら、今の言葉をそっくりそのままお返しされるだろう。そうだ。要するに、あたしが後悔していることを季沙に分からせればいいんだ。
「何もせずに後悔し続けるより、たとえ玉砕でも告白した方が気分は良いと思うよ。」
あたしのその言葉に季沙はしばらく考え、缶のフタを開けて中を一気に飲み干した。そこには、もうさっきまでのくよくよ顔の季沙はいなかった。
「うん。そうかもしれないね。……ありがとう。やっぱ姉さんは私の姉さんだ。」
「何それ。当たり前じゃん。」
「そうだね。」
「さ、帰ってごはんにしよう。とびきりおいしいオムライスを作ってあげるからねー!」
そう、これでいいんだ。あたしの初恋は叶わなくてもいい。伝わらなくてもいい。いや、伝えてはいけないんだ。この恋は、きっと季沙を不幸にする呪われた想いだから。
posted by トキツネ at 16:00|
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2002年04月26日
―・Kisa Asano・―
私は、学校では主に「委員長」と呼ばれている。あだ名みたいなものだけど、実際クラス委員長を務めているので分かりやすい呼び名だ。
小学一年の、初めての委員会決めのホームルーム。こういうのはいつになっても大抵そうなのだが、学級委員長の役職だけ希望者が空く傾向があるらしい。他の委員会は立候補者やじゃんけん選抜戦やらで大方決まっていたものの、クラスのリーダーに自らなろうという者は誰一人いなかった。そんな沈黙の中で唯一挙手をし立候補した人間がいた。それが私、浅野季沙だ。自分で言うのもなんだけど、私は昔から正義感や責任感がやたら強かった。だから、誰かがやらなくちゃいけない、だけど誰もやらないのなら私がやろうと思ったのだろうと、今の私は当時の私を自己分析する。
そして学級委員長という仕事にやりがいと魅力を感じた私は、以来真っ先に委員長に立候補するようになった。その為だろう、三年生になるかならないかの時には、既に「浅野季沙=委員長」という認識が同級生の間で定着していた。クラス替えで新しく顔を合わせる生徒も、親しみを込めて私のことを「委員長」と呼ぶ。中には皮肉でそう呼ばれることもあるけど別に気にしていない。実際私は委員長という役職に就いているのだし、何よりもみんなにそう呼ばれるということは みんなが私を委員長だと認め、頼ってくれているのだと。私にそう思わせてくれる支えにもなった。
私はこの役職に誇りと尊厳を持っている。だからこれからも続けるつもりだ。
だけど、最近になって私をそう呼ばないひとが現れた。姉や親友以外では珍しく、彼は私のことを苗字で「浅野」と呼ぶ。私は初め、それがどこか悔しかったのだけれど、でも彼を疎ましく思うことはなかった。それどころか、私は彼に惚れてしまっていた。そう、あれは一目惚れだった。
ことは、今年の四月に遡る。高校への進学。附属中学からエスカレーター式で進んだ私はあまり代わり映えしないなあと思いつつ今年一年を共にするクラスメイトを見回していた。するとその中のひとり、彼を見つけた。その瞬間、私は経験したことのないくらい心臓の鼓動を感じた。たった一瞬で脈拍はグンと上がり、顔が上気する感覚が走った。視線はそのまま固定され、その後中学以来の友人に話しかけられるまでどれくらいの間か、ボーっとしていた。いや、その後もしばらく続いていたのだろう。恥ずかしながらその時の友人との会話や、自分が自己紹介で何を話したかでさえ覚えていないのだ。だけど、これだけははっきり覚えている。そう、彼の自己紹介だ。
彼が教卓の前に立ったその時、私の意識は現実へと引き戻された。一所懸命に彼の名前を知ろうと、全ての神経を耳と前頭葉へ集中させるかのような真剣ぶりだったに違いない。
「坂本誠です。大和市第三中学から来ました。剣道部に所属していましたが、高校では文科系にしようかと思っています。一年間お願いします。」
静かな物腰で、落ち着いた少し低めの声だった。背丈は私よりも高いだろうか。髪の毛は全体的にやや長めだけど、きちんと櫛を入れたように整えられている。とにかく第一印象は「素敵な人」だった。
そしてどういう巡り会わせか、運命は私に強く味方をしてくれた。
次の日に行われたクラス替え後恒例の行事、クラス委員の役員決め。私の所属クラスでは委員長が私になる為、その代わり副委員長の席が空白のまま時間が過ぎるのだけれど、彼は最初図書委員での選抜に落選した後、なんとそこへ立候補した。結果、他に自薦他薦は現れず、彼・坂本くんは副委員長になったのだった。
今まで、余った副委員長の席はクジ引きで決められていて、誰かが立候補するなどということは一度も無かった。だけど彼は自ら副委員長に名乗り出たのだ。それが彼の第一希望でなかったにしても、私が彼に惹かれる想いに拍車をかける理由には十分すぎた。
それ以来、席替えでは運良く隣になれたり、委員会や勉強のことで話し合ったりと、私の高校生活は幸せなスタートを切ったのだ。
ところで「委員長」という呼び名のせいか、私はどうしても堅物の女子と思われているみたいだけど、そんなこともない。自分はこれでも普通の女の子であると信じている。友だちにカレシができれば羨ましいとも思うし、カレシといわゆるそっちの経験をしたと聞けば少しくらい想像だってしてしまうものだ。
だけど、私の青きに満ちた中学生活はまったく男っ気がなく、委員会と部活に明け暮れることで幕を閉じた。それはそれで有意義ではあったけど、だけど私だって友だちみたいな恋愛をしたかったというのが本音でもある。
なぜそうならなかったのか。
私には双子の姉がいるが、その姉さんがかつて、学校で一番女子に人気があると言われるいわゆる二枚目スポーツ少年の先輩に白昼堂々学校の廊下で告白されたことがあった。当然のように喧騒に包まれたその現場を、次の瞬間に姉さんは静寂を走らせた。なんと相手の男子の、一番入れてはいけない所に膝蹴りを入れたのだ。
この、後に「禁門事件」と名付けられたそれは、妹の私に告白しても彼と同じ目に遭わされるという噂が流布した。因みに私たちが中一の時である。
いや、それだけのせいでもないかも知れない。何せ私は今まで男子に魅力を感じることがいかんせん無かったのだ。学年でどんなにかっこいい男子がサッカー部のレギュラーだろうと、野球部の四番バッターだろうと、周りの女の子たちのようにキャーキャー騒ぐような気分にはなったことが無かった。告白されることがないなら自分からすればいい。そんな簡単なことだけど、そうしなかったのも事実なのだ。
でも、今回は違う。この胸のトキメキ。これはまさしく恋だと思う。切なくひとを愛おしく想う気持ち。初恋。そう、せっかく手に入れたチャンスを無下にはできない。人生初めての浮いた話だけど、浮かれてばかりいては話にならない。下手をすれば、何もせぬまま撃沈してしまう。それだけは、どうしても避けたかった。
四月も半ば。新しい気持ちの私たちを校門から出迎えてくれた桜の木に若葉が見え出した頃。その放課後に、私はひとりで委員の仕事をしていた。
この学校では五月と十一月の末に体育祭と文化祭がある。そしてそれは毎年時期が交互に行われ、今年は五月に体育祭、十一月に文化祭が開催される。今日はホームルームで体育祭でやりたい学年対抗種目をいくつかの候補の中から選んでもらった。私はその集計をしていて、坂本くんは先ほど教室にやって来た先生に仕事を頼まれ、一時的に席を離れている。
クラスアンケートの集計。そんなに難しい仕事ではない。私は集計し終えたアンケート用紙を積み重ね整理した後で、ただただぼーっと窓から空を眺めていた。だんだんと暖かくなって来たとは言え、夜が来るのはまだまだ早い。向こうの空は赤紫に、教室には橙の光がかろうじて届いている。私がそんな夕日に黄昏ていると、後ろの扉が開く音が聞こえた。坂本くんだ。
「悪い。遅くなった。」
「ううん。ちょうど、いま終わったところ。」
本当なら、こんな簡単な仕事はひとりでも出来なきゃいけない。こんなに時間を掛ける仕事でもない。でも、今日の私は、私の心は、いつもと違っていた。とても同じではいられなかった。今だって、いつも通りの私でいられているかどうか……。
「そっか。ごめん。反対側の校舎まで荷物運びでさ、思ったより時間かかった。」
「そうなんだ、ごくろうさま。じゃ、帰ろうっか。」
私は、見てしまったんだ。机の上に残された、彼の生徒手帳。ほんの出来心だった。誕生日や血液型を知りたい、それだけだったのだ。
「あ、そうだこれ。さっきの先生から手伝ったお礼にもらったんだ。ちょっと無理言って浅野の分ももらったから、これはお前の分な。」
そう言って缶ジュースを渡してくれた。結露が彼の手の形に切り取られていて、私はそれに自分の手を重ねた。私も、彼と手を繋げたらいいのに。あんな風に。
「あれ?浅野、ここの集計だけど、計算が違ってる。」
「え?」
いつの間にか、坂本くんが集計リストをチェックしてくれていた。
「ごめん。どこ?」
「クラス合計が四十四人になってる。どこかで二人ダブりカウントしてるな。」
「うそ、……やだ、どうしよう。」
今期に入って、いや、坂本くんと一緒にやるようになってから、私にはミスが多い。それもどれもが凡ミスばかりで、坂本くんの足を引っ張ってしまっていた。今日はこんな簡単な集計でさえ、だ。
(ううん。坂本くんは悪くない。悪いのは、私だ。)
と自省し心を落ち着かせようとするも、全然と緊張は治まらない。
「ごめんね。修正は私がやるから、坂本くんはもう帰って。」
「いいよ、手伝う。こういうのは二人掛かりの方が効率がいいだろ。」
「そんな、私のミスなのに坂本くんに迷惑かけられない。」
「いいから。ほら、用紙貸しな。」
これでは押し問答になるだけなので、言われた通り彼にクラス全員分のアンケート用紙を渡し、その回答を彼が読み上げ私が正の字を書いていく。あっという間に集計が終わり、今日の分の仕事が片付く。
集計リストを職員室に提出してから、私たちは帰路へと就いた。私は徒歩で通っているが、坂本くんは隣の大和市から電車で通学している。そして委員の仕事がある日は、夜道は危ないからと近くまで送ってくれているのだった。
初めてのとき、「駅までの通り道だしついでだ。」と言っていたけど、そうじゃないことを私は知っている。私の家の方角だと坂本くんが来るのとは逆方向で、私を送った日は普段の駅よりも一駅分戻っていることを。
そんな彼の優しさが、私の胸をきゅっとしめる。切ない。彼にもっと近付きたい。彼をもっと知りたい。彼の隣にいたい。
でも、そんな思いが私を更に追い込むことも知っている。今日、知ってしまった。
彼の生徒手帳。その中には、満面の笑みで親しげに手を繋ぐ少女の姿があった。写真に写った彼はすごくなごやかな表情で、少し照れているような、そんな顔をしていた。
羨ましかった。
だけど、それよりも、私は自分が憎かった。彼の心を勝手に覗き見た私が。それを知らず接してくれる彼の好意を謝罪もなく受け取る私が。バレないように、いつも通りであろうと平静を装っている私が。たまらなく、とんでもなく憎かった。
「やっぱり、私には無理だったんだ。」
家に着いた時には太陽はとうに沈んでいた。夕方には見えた空は流れてきた雲で覆われ一番星も隠されて、まるで今の私の心を代弁しているかのようだった。
posted by トキツネ at 17:00|
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2002年04月15日
―・Saki Asano・―
妹が初恋をした。
新学期早々やけに嬉々としているからなんだと思ったら、どうもそういうことらしい。
聞けばその男、妹と同じ委員長職に立候補したとかで、もう脳内桃色お花畑、ベタ惚れのゾッコン状態のようだ。
まあ姉としては漸く訪れた妹の春を応援したい気持ちもあるので、どんな男なんだろうと一度確認してみたけどどうやら姉妹とはいえ好みはまったく異なるようだ。あの子は一目惚れと言っていたけど、別にそんなことはなかった。確かに綺麗な顔立ちではある。男前かと問えば十人中七人位からはイエスと回答を得られそうだ。
そこであたしは、ヤツと話をしてみることにした。季沙に扮して、ヤツが気付くかどうか少し興味もあったからだ。
そしてある日。季沙が部の朝練でいない日を狙ってそれを実行した。
「おはよう、坂本君。」
「浅野か。おはよう。」
あたし達が通う学校には、校門へ続く一本道がある。距離にしておよそ一キロ。今はもう散り際だけど、始業式の頃には満開になる桜並木と、秋になると見事な紅葉狩りができるダブルの並木道。更にその根本は向日葵だったり椿だったりの植え込みがありここだけで四季折々を楽しめるようになっているのだが、実に掃除が大変な並木道だとシーズン毎に地面を見る度思う。
学生は皆この道を通るので、偶然を装ってヤツに声を掛けることにする。そこで待つこと三十分、漸く現れた。しかしそんな様子を微塵も見せる訳にもいかないので、「早いね。電車通いだっけ?」と爽やかに話題を繰り出す。
「ああ。家が隣町だからね。親が定期代出してくれてるし、自転車よりは楽だしね。」
「なるほどぉ。」
しかしなんだ。こうして男子と話すのは初めてなんじゃなかろうか?愼を除けば。
「ところで浅野ってさ、部活何やってたっけ?」
会話が途切れたところで坂本誠が話題を変えてきた。しかも部活を聞いてくるということは、少しは季沙に興味があるのか?
「ん、吹奏楽部だけど。」
「え、そうなの?だったら中等部に妹がいる筈なんだけど、知らない?坂本泉水。」
「え?」
なんとこれは予想外の事態が起こった。妹がいて吹奏楽部だと?そんな情報は知らない。中等部となると季沙とは少なくとも二年間の付き合いがあることになるが、
「あー、あの子が?……あんまり似てな、くない?」
「はは、よく言われる。」
「あはは。」
よし、誤魔化せた。
「あれ、でもそれなら朝練は?今日あいつ寝坊したって言って大慌てで出てったけど。」
「……。」
チ、そっちに気付いたか。目ざといヤツめ。……あー、しょうがないな。
「あー、まー、なんだ。ホントはあんたが気付くまで続けようと思ったけど、季沙の評価を下げる訳にもいかんのでねー。はい、じつはあたし季沙の姉の沙季さんなのでしたー。」
「ああ、なるほど。」
「あー?なに、その感づいてたような納得の仕方は。」
「自信は半々だったけどね。きみ、浅野よりはちょっと声低めだよね。風邪かなとも思ったけど、やっぱ別人だったのか。」
「声、判るの?」
これは驚いた。今まで容姿で判別されても声でそれを出来た人はいなかった。ましてや今日初めて会ったのにだ。普通は今回みたいに容姿を変えれば大抵見分けは付かない。
「俺は俄だけどね。絶対音感に近いから、漠然としか判らないんだけど。妹は完璧だよ。」
「……へー。」
少し、感心した。少し、な。
「で、なんでこんなこと?」
「そーさな。もーすぐ校門に着くし、手短に。これから委員会の仕事が増えてくるんだけどさ、夜遅くなるのは心配な訳よ。そこであんたにミッションだ。委員会がある日だけでいい。あたしのかわいい妹を我が家まで無事に送り届けなさい。もし電車代がかさむようならその分はあたしが出そう。どう?」
「初対面相手にいくらなんでも信用し過ぎじゃないか?」
「無論、あたしはあんたを信用してないさね。でも、あんたを信用した季沙のことは信用してる。これ以上ないくらいにね。」
「浅野が、俺を?」
「んなこたいーよ。で?どうすんの。インポッシブルとは言わせねーよ?」
「……。いいよ。請け負った。」
「よし。あ、そーそー。いまここであたしとあんたが話していたことは季沙には内緒。家まで送るってことはあんたから進言しなさい。そう嫌な顔しなさんな。あたしとあんたはまだ会ったことはない。これは絶対条件だかんら。じゃ!」
丁度校門に着いたので一方的に話を切り上げ昇降口まで駆けた。
よし。言うだけのことは言ったな。我ながらお節介だとは思う。けどなー、季沙ってば間違いなく奥手になるだろうからなー。
「あら、沙季じゃない。」
靴を履き替えたところで知った顔に出会った。幼馴染みの斎藤紗羅。あたし達姉妹を見分けられるのは紗羅のような付き合いの長いごく一部だけだ。だから普段はあたしが髪を下ろして、季沙が結うことで見分けをつけている。
「あなたが男と登校なんて珍しい。明日は台風かしらね。」
「なに、見てたん?」
結った後ろ髪をほどいていたずらっぽく笑う幼馴染みを見上げる。
容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備、エトセトラ。成績はいい、美人で背も高いモデル体型。それがこのお嬢様だ。
「まぁね。そろそろその彼氏が追い付いてくるから、歩きながら話しましょうか。」
そんな訳で、教室までの間でさっきのやり取りといきさつを説明した。因みに紗羅とは同じクラス、席も前と後ろだ。
「へぇ。季沙も大変ね。過保護な姉を持って。」
優しさと言ってほしいところだけど、否定もできないので黙っておく。
「それで?彼はお姉さんのお眼鏡に敵ったのかしら。」
「さーね。季沙と付き合うようになったら考える。」
「まぁまぁ。うふふ。」
上品な笑い方とは裏腹に顔はにたにたと面白がっている。たぬきめ……。
「でもいいの?あなたの初恋の方は。」
急に真剣な声を出したと思ったら、あー、そのことか。
「まー、けじめは付けるさ。今もその気持ちは変わってないからねー。」
あたしは机に突っ伏して答える。
「そぉ?だったらいいけど。困ったわね。私は沙季と季沙ふたりとも応援したい気持ちなんだけど、そうもいかないわね。」
「うっせー。」
「……そうね。わたしも沙季のこと言えないか。」
紗羅がそうぼやいたところで担任が教室に入ってきた。紗羅はあたしの席に振り向いていたから前へ姿勢を戻す。その振り向き様に「難しいわよね、人間関係って。」と言葉を残して。
まったくだ。自分の想いを躊躇いなく相手に伝えられたら、どんなに心が楽か。
ただ当たり前に好きなだけなのに、なんでこうも苦しいのか。けじめを付けるとは言ったものの、あたしの初恋は本当は心の内に留めておくべきもので、伝えるべきでは、ない。
だからあたしは、季沙の初恋をサポートする。それがいいんだ。季沙の幸せが、あたしの幸せだから。それで、いいんだ。
出席で名前を呼ばれたことも気付かぬ程に、あたしはそれだけを考えていた。
posted by トキツネ at 08:00|
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